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運命の法則

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読書メモ
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先日、旧SONY経営陣がソニーについて語るインタビュー「オレの愛したソニー」が話題になりました。中でもCDやAIBOの開発を行い、ソニー上席常務まで上り詰めた土井利忠さんの回が刺激的でした。

土井さんは東京工業大学電子工学科を卒業して、ソニーに入社後に、工学博士(東北大学)、名誉博士(エジンバラ大学)という経歴を持つ超エンジニアですが、理系的なファクトとロジックの世界を離れて、人間の情や精神世界に踏み込んだ話がユニークです。

土井さんは天外伺朗のペンネームで多くの本を出版しており、今までに何冊か読んだことがあります。このインタビュー記事をきっかけに手にした「運命の法則」が面白かったのでご紹介。

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仕事の報酬は仕事そのものの内容と面白さ

p.67 近代文明社会はありとあらゆることに「競争状態を強化すると活性化する」という原理を適用してきた。だから、能力給を導入すれば、企業は活性化するということを誰も疑っていなかった。(中略)

東京大学教授の高橋伸夫氏は、その著書(『虚妄の成果主義-日本型年功序列制度復活のススメ』)で、経営学の立場からそれを論じている。
<誤解を恐れずに明言すれば、単純な「賃金による動機づけ」は科学的根拠のない迷信である>
 高橋によれば、日本型の人事システムの本質は、給与は仕事に報いるというよりは、生活を保障するものであり、仕事の報酬はむしろ仕事そのものの内容と面白さである、とのことである。

内発的報酬>外発的報酬という話は、「モチベーション3.0 持続するやる気をいかに引き出すか(Daniel H. Pink著、大前研一訳)」に詳しく論じられていますが、未だに多くの企業の社内評価システムは外発的報酬ベースで出来上がっています。

どちらが正しいという1か0かの議論ではなく、成果主義に傾きすぎた弊害を取り除くためには内発的報酬にも目を向けたマネジメントを実践することが大切だと感じています。

企業内には様々な種類の仕事があり、それぞれが密接に絡み合って日常のプロセスが実現されています。人にもそれぞれ適性や能力、嗜好に違いがあるので、企業としては各人のインセンティブ構造に目を向けてそれに見合った職場を提供できることが企業にとっても従業員にとってもプラスになるはず。

僕自身も給料を増やしてやるからあれもこれもやれ、と言われるよりも、同じ給料でもよりやりがいのある、自分が活きる仕事に就けるほうがやる気も出るし、結果として成果もついてくると思っています。

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運命に「貸し」をつくる

p.91 運命に「貸し」をつくる
 私は、大企業に40年間勤務してきたが、公平かつ客観的で合理的な評価など、そもそもあり得ない、という立場を貫いてきた。(中略)

 「不純な、よこしまな動機で、評価に歪みが入ると、結局はめぐりめぐって、自分のところに返ってくるよ」
 これは明らかに脅しだ。脅して、「純粋になれ」といっている。(中略)

 一方、評価される側の従業員には、こういってきた。
 「そもそも、客観的で公平な評価などは、この世に存在しない。だけどもし、自分が不当に低い評価を受けたと思ったら、がっかりしたり、怒ったりしないで、本当は喜んでいいのかもしれないよ。なぜならあなたは、そこで運命に『貸し』を作ったことになるからね。それに見合った幸運がそのうち絶対やってくるはずだよ」
 まことに怪しげな話だ。一流企業の、博士号を持った重役の話とは到底思えない。(中略)

 運が悪かった時に、泣き叫んだり、ジタバタしたりしないで、それを淡々と受け入れると、いつかは幸運が訪れる。つまり、運命に「貸し」を作ると、やがてそれが返ってくる、という話は、表面的には荒唐無稽なのだが、皆の心にはストンとおさまる。

企業に属する以上、誰かを評価したり、誰かから評価されたりするのは必然ですが、とても難しくて正解のないプロセスだと感じます。評価する時は邪念を振り払って直感と良心に従って行うこと、評価される時は結果に一喜一憂することなく粛々と受け入れる覚悟を持つほかありません。

そんな時、どんな理屈よりも「運命に貸しを作る」という考え方はしっくりくる気がします。逆も然りで、良い評価をもらったからといって調子に乗るのではなく「借りを作った」と思って兜の緒を締める気持ちが大切。

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「燃える集団」の法則

p.19 私が経験しているのは、いずれも技術開発の現場のみだが、チームが夢中になって仕事をしていると、突然スイッチが劇的に切り替わることがある。
 その状態になると、まさに怖いものなしになる。どんなに困難な局面を迎えようとも、必ず突破口が開かれる。新しいアイディアが湯水のようにわいてくる。必要な人と、まさに絶好のタイミングで巡り合い、プロジェクトを成功させるのに必要な技術や部品が、まるでタイミングを見計らったかのように出現する。

本書のキーワードは「フロー」と「大河の流れ」。フロー理論を提唱したシカゴ大学のチクセントミハイ教授との対話と、そこで待っていたシンクロネシティについては本書を読んで頂くとして、天外さんはこのフロー状態にチーム全体が入ることによる効果について幾つかのプロジェクトで実体験したことを記しています。

このフロー状態については僕も体感的に理解しています。今でも克明に思い出すのは、今から14年前の夏の出来事。当時、企業派遣でMBA留学させてもらえることになったものの、会社が指定する世界のトップ校に合格するのが条件となっている中で、出願に必須となるGMATという試験でスコアが伸び悩んでいました。

出願スケジュール的に追い詰められた3回目の挑戦、ここでもし高スコアが出せないと留学もままならないという状況で、Mathのパートで残り時間を10分勘違いしていて残り10問を10分で解き終える必要があることに気づいた瞬間のこと。Mathパートは数学を英語で解くのですが、時間は75分で37問、つまり1問を約2分程度で解かねばなりません。

気づいた瞬間、頭は真っ白になり、「ああ、これで僕はもう留学は無理だな」という思いが頭をよぎりましたが、一方で「いや、ここで諦めたら今までの努力は水の泡だ。最後までやり切ろう」という思いが心の底から湧き上がりました。その後の10分間はPC画面に問題が表示されて読むだけで自然と正答がぱっとひらめく繰り返し。通常であれば、何回か問題を読み返して真意を理解し、計算するプロセスがあるのですが、この時は空から正答が降ってくるような感覚でした。

時間が過ぎる感覚を喪失する中、最後の1問を解き終えるとすぐに時間切れ。正直、正しく解けたのか手応えはまるでなかったのですが、試験後に表示されたスコアを見て驚きました。Mathは満点、トータルで最高点が出て、トップスクールにも十分に手が届くスコアを出すことができました。まさに「フロー」と言われる状態だったんだと思います。

また、チーム全体でフロー状態に入る感覚についても思い当たります。これは今から11年前の秋から始まった社内SNSの企画・構築プロジェクトでのこと。当時の会社の状況からすると荒唐無稽と思えるような着想に基づいてプロジェクトを提案して仲間を募って走り抜けた半年間でした。

途中では何度も壁にぶち当たり、その1つでもクリアできなければこの企画は実現できませんでしたが、メンバーひとりひとりの想いで取り組むことで次々に解決する方法やキーとなる人が現れて前に進むことができました。

そして、今になって振り返ると、そもそも事務局がランダムに選んだ初期メンバーの顔ぶれが偶然とは思えない組み合わせ。コンセプトを作る人、技術を裏付ける人、デザインを決める人、社内の組織と調整する人、全体を俯瞰する人、誰一人として欠かせないスキルと想いを持ったメンバーが揃っていました。

各人がそれまで仕事をする中で感じてきた問題意識を持ち寄って、考え抜くことで生まれたアイディアとそれを大切に温めて形にするプロセス。これは、天外さんが言うところの「大河の流れ」に乗っていたとしか説明できないプロジェクトでした。

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大河の流れ

p.149 つまり、CDの開発に関しては、実際にプロジェクトがスタートする八年も前から、まるで誰かが綿密に計画を練ったように、密かに、着々と準備が進んでいたことになる。
 もちろん私は、東北大学でアンテナの研究をしていたときや、集積回路のCADシステムを開発していたときに、将来CDの開発に取り組むなどとは夢にも思わなかった。(中略)

CDの開発は、このあとも信じられないくらいの幸運に恵まれた。(中略)

 気づいた瞬間には、声を上げそうになるほど驚いた。疑いの余地がないほど明確だったからだ。「こんなことが、あってもいいのだろうか!」という思いが強かった。それを「幸運」と呼ぶことには抵抗がある。(中略)

 その事実の前に、襟を正し、背筋を伸ばし、厳粛な気持ちで受け止めなければいけない、との思いが強い。
 私たちの身の回りの物質的な世界。発生する出来事に一喜一憂する人生。あるいは、怒り狂ったり、嘆き悲しんだりする私たちの精神状態。「こうしたい」「ああなりたい」という思いや目的意識。
 そういったものを一切超越して、宇宙の底の方に音を立てて滔々と流れる「運命の流れ」がたしかに存在するのだ。

p.143 「大河の流れ」は、一見して自分の意図と違うところに向かっていることもある。それでも、流れに抗して進むと苦労ばかりして、ちっとも進めないものだ。思い切って、流れに身を任せてしまえば、人生はとてもスムースになる。トントン拍子になる。「フロー」状態がずっと続くようになる。運が開けてくるのだ。
 ただ、注意しておかなければいけないのは、流れは必ずしも社会的な成功の方向に向かっているとは限らない、ということだ。場合によっては、社会からドロップアウトする方向かもしれない。それでも、その流れに乗った方がスムースだ。内面は充実している。

この感覚は、実は結構前から感じています。今から11年前に書いたエントリー「目に見えない大きな流れ」を改めて読み返してみると、ここにも天外さんの本の一節が出てきました。

そして、去年のエントリー「大局観」でも出口治明さんの「大きい川の流れにゆったりと流されていく人生がいちばん自然で、素晴らしいと思うのです」という言葉を紹介していました。

まだまだ自分がこれからどんな仕事をなすべきか、大きな流れは見えてきませんが、自分でコントロール出来ないことを思い悩んでジタバタするのではなく、いま置かれている状況でやるべきこと、やりたいことをしっかり積み重ねていけばきっと自然に流れが見えてくると信じて日々を過ごしています。

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ロサンゼルスMBA生活とその後