先日、宿泊人間ドックに行ってきました。2日間の間には糖負荷検査等、待ち時間が結構たくさんあります。そのお供に何か1冊、面白そうな本を探しに本屋に立ち寄りました。
到着してすぐ、たまたま入口に積んであったライフネット生命CEOの出口さんが書いた「大局観」という本を何の気なしに手にしたところ、最初のページの「はじめに」でいきなり「直感に従えば間違えない」というサブタイトルが目に飛び込んできました。
日頃から「直感は結構正しい」ということを何度も体感してきた僕は、直感的に「この本、面白そう!」とひらめきました。それから一時間超、本屋を一巡りして色々な本をパラパラと眺めましたが、結局、買ったのは最初の見出しだけを目にしたこの本でした。
直感で決める
p.55 私は「直感で決める」ことを大切にしています。最初に述べたように、この直感というのは「何も考えずに決める」ことではありません。人間の脳は問題に直面した瞬間、頭のなかに蓄積されている情報を高速でサーチし、最適な答えを導き出すようにできているのです。つまり、脳が高速で必要な情報処理を行った結果が「直感」なのです。
直感の精度はその人のインプットの集積で決まります。だからこそ、日ごろから読書をしたり、さまざまなジャンルの人に会ったりして経験の幅を広げ、インプットの量を増やしておくことが大切なのです。
先日、思いっきり打ち込めるものが見つからずに悶々としている中学生の息子に「外に出て仲間と話して体験すること、旅に出て知らない土地で新しい世界を見て感じること、良い本や映画、音楽に触れて自分の考えを深めること。こうしたことにもっと時間をかけることで、自分の世界が広がって自分の頭で考えることができる。そんな中で、きっと自分が情熱を傾けられる対象が見つかるはずだし、自分なりの方向感、志みたいなものが自然と身についてくるはず。」という話をしました。
将来の進路は人生を決定づける重要な選択ですが、これもまた論理的にファクトとロジックだけで決められるものではないし、決めるべきではないと思います。
僕は自分の可能性を狭めたくないと思い、学生時代には数百社に資料請求をし、様々な業界で働く社会人に片っ端から会いに行って話を聞かせてもらいました。業界ごとのキーとなる会社をリストアップし、売上や利益、従業員数、年収等を表にして、社員1人当たりの売上や利益の違いを分析してみたりもしました。
結局、複数の業界から幾つかの内定をもらいましたが、最後は自分の直感に従って決めました。その会社は未上場企業で友人に聞いても誰も知らない会社でしたが、僕にとっては会った先輩社員と話していて何だかワクワクする感覚を覚えてずっと気になっていた会社でした。
「何でせっかく○○海上の内定があるのにそんな会社に行くのか」と色々な人に言われましたが、膨大なインプットでグルグルと考えた末に、ふっと感じた直感に従った僕は不思議と穏やかな気持ちで腹が決まっていました。
そして、人生の伴侶を決める瞬間もまた直感に従っただけ。仕事上の判断等、日々の細かな選択はファクトとロジックで論理的な帰結を導いて決めますが、人生の重要な決断ほどロジカルシンキングではなく直感に従った方が間違いない気がします。
というか、僕は就職、結婚、MBA留学、持ち家購入といった大きな決断はいつも心の声に耳を傾けて決めるようにしてきて後悔したことはありません。
自分の軸をつくる
出口さんは本書で「自分の軸をつくる」ことの大切さを繰り返し説いていますが、そのためには「森の姿」をとらえる必要があるといいます。
p.68 森の姿を見るというのは、つまりは今の自分、今の会社、今の日本がどんな位置にあるのか、今までよりも一歩引いた視点で俯瞰してみる、ということです。(中略)「森の姿」を見るための方法は、大きく分けて二つあります。
一つめは、歴史から見ること=タテ思考です。(中略)手ごわい問題に遭遇したら、古今東西の歴史のなかから同じようなケースを探し出して、先達がどのように対処し、その結果どういうことが起こったのかを調べてみるのです。(中略)
もう一つは、ほかの国や地域から見ること=ヨコ思考です。(中略)例えば、日本は現在少子高齢化や年金問題など、さまざまな社会問題を抱えていますが、ひとたび目を海外に転じてみると、ほかの先進国でも似たようなことが起こっているのがわかります。(中略)
また、他国と比べてみることで、日本国内では常識と思われていることが実は非合理で、もっと効率のいいやり方がいくつもあったと気づく可能性もあります。(中略)
そして、それができるようになるためには、現在自分が生活する居心地のいい空間を突き抜けること、そして「歴史というタテ軸」と「世界というヨコ軸」を自分の中にもつことが大切なのです。
「居心地のいい空間を突き抜けること」というキーワードにここでも出会うことができました。UCLA Anderson School of Managementで一番最初に学んだメッセージが“Putting yourself out of comfort zone”でした。
それ以来、悩んだときにはいつもこの言葉を思い出して自分を奮い立たせて一歩を踏み出してきました。
p.114 いまの時代、一つのところでじっとしているくらい危険な生き方はない。その場所のルールにしたがっていれば安心と安全が未来永劫保証される、というのは幻想に過ぎない。常に広い世界に出て、変化にチャレンジし続けなくてはならない。(中略)
踏み出した先は、きれいに舗装された街並みからは遠く離れた辺境の地です。そこには標識もなく足元は石ころだらけ。迷ったり転んだりしてけがをすることもあれば、初めて会う人たちと言葉が通じず、孤独感にさいなまれることもあるでしょう。
でも、だからこそ一刻も早く、そこに足を踏み出すべきだと思うのです。辺境での対処の仕方は、辺境に身を置き、そこで失敗を繰り返すことからしか学べません。そして、そうやっていったん知識やスキルを獲得してしまえば、もはや辺境は恐るべき未知のフィールドから、勝手知ったる自分のホームグラウンドになってしまうのです。
壁が壊れ、外部から侵入者がやってきたとき、そこにいる人たちに対して的確な指示を出せる「異質の辺境の民」というのは、どの共同体にとってもなくてはならない存在なのです。
「自分の中に辺境をつくる」ことの大切さ、深く共感します。従来の延長線上で改善を続ける程度のことは誰もがやっていて差別化にはならない。今までにない新しいモノ、サービスを自分たちが生み出すという気概を持って挑戦すること。
僕にとっては、MBA留学から帰国後に立ち上げた社内SNSや金融M&Aチーム、ここ4年間ほど悪戦苦闘したグローバル事業の立ち上げ、そして7月から新たに取り組んでいる銀行向けオムニチャネル構想は、いずれも居心地の良い環境から踏み出した挑戦です。
新しいことをやるには障害があって当たり前。その中で悩み、試行錯誤の末に成功も失敗もたくさん経験して、そうした積み重ねだけが自分を成長させてくれると思っています。「苦しい時が上り坂」、気づいたら楽をしているうちに坂を転げ落ちていたなんてことがないよう、あえて一歩、踏み出し続けていきたい。
ルールは何のためにある?
p.164 英国では、幼稚園に入るとまず教えられることがあります。
子どもどうしを、お互いの顔を見せあいながら「AさんもBさんもCさんもみんな顔が違うでしょう。顔が違うのだから考え方も違います。お互いにわかりあうためには、まず自分の意見をはっきり言わなければなりません。また、自分の考えを伝えるときは、わかりやすく話さないといけないんですよ」と繰り返し説くのだそうです。(中略)
ひるがえって、日本ではどうでしょう?「ルールを守る」ということは厳しく教えられていても「人は皆、異なる考えをもつことが当たり前だ」ということを学校で教わった記憶は、少なくとも私にはありません。(中略)
「強い個性をぶつけあいつつ秩序を維持していくためにルールがある」という順番ではなく、「秩序を守るために個性を殺す」という逆の発想になってしまうのです。(中略)
人間には皆個性、つまり「角」があるのがふつうの状態です。そして角がある限り相手には引っかかるし、ぶつかりあえば痛いのもまた当たり前です。(中略)
確かに、ゴツゴツ尖った石は扱いにくいというのも事実でしょう。しかし、だからといって滑らかな丸い石ばかりで石垣をつくっても、そんなものはちょっとした衝撃ですぐに崩れてしまいます。ゴツゴツとした石をうまく組み合わせながら積んでいくには手間も時間もかかりますが、それができたときには非常に丈夫で強い石垣になっているのです。
実は、僕は英国で2年間、現地の幼稚園に通っていました。もちろんどんな教育を受けたか当時の記憶は何もありませんが、なるほど、ルールは何のためにあるのか、その考え方自体が欧米と日本とで大きく違う気がします。
日本人は真面目で勤勉とよく言われますが、同時に没個性とも言える。その根底には、幼少時からルールを守ることが目的化して自分の頭で考える習慣がつきにくいことがあると思います。
社会人になってもその傾向は同じで、ルールや手順書があるとそれにただ従っていれば良いという文化が根付いていて、なぜそんなルールがあるのか?ということに思いを巡らせる発想が出てこない人が多い印象です。
日本の企業では、何か事故や不祥事があるたびにルールがどんどん細かくなっていって、そのルールに縛られて本来やるべきことをやる時間が取れないというような本末転倒が散見されます。
プリンシプル、あるいはミッションといった根源的な理念をしっかり共有できていれば、本来は細かいルールはなくても社員一人ひとりが自分の頭で考えて判断した方がスピーディで柔軟な対応ができるはず。画一的な採用基準を設けて、一般的に優秀と言われる人材ばかりをたくさん揃えて画一的な教育で社風に染め上げていくようなやり方をしている企業には明日はありません。
p.158 大きい川の流れにゆったりと流されていく人生がいちばん自然で、素晴らしいと思うのです。この基本的な考え方は、今もそう大きくは変わっていません。
「青い鳥がどこかにいるはず」と信じてずっと探して歩き回るのはしんどいことです。それよりは「どこにでも青い鳥はいる」と思って、日々を過ごしていく方が確実に人生はラクになる、そう思うのです。
本書は読み進むうちに膝ポンな箇所が随所にあって自分の考えを深めるきっかけをたくさん与えてもらいましたが、中でも僕が一番共感できたのが上記のフレーズでした。
SONYの元役員でCDやAIBOの開発をリードした天外伺朗さんの言葉にも通じる考え方です。
ふつう「計画」というと、目に見える出来事だけを考えます。ところが、それとは別に、目に見えないレベルで、それよりもはるかに大きな計画があり、流れがあるようです。
そして、私たちがあさはかな智恵や理性による判断を手離して、目に見えるレベルの計画を立てるのをやめると、かえって、その目に見えない大きな流れに上手に乗れる、という傾向があるのかもしれません。すると、何事もスムースに、幸運なハプニングの連続になります。
天外伺朗氏の言葉より
「風車、風の吹くまで昼寝かな」と詠んだ広田弘毅の如く、自分なりの軸を持って、自分の頭で考えるクセを身につけておけば、いざという時にも慌てずに「風が吹いたときに凧を上げる」準備ができているはず。
大きな方針をしっかり持って、あとは時の流れに身を任せて直感を信じて目の前のことに当たる、というのが僕の理想です。なかなか思い通りにいかないことばかりですが、長い目で見れば“connecting the dots looking backwards”の言葉どおり不思議な縁に導かれて今日に至っています。
本質的なメッセージに溢れた本書、少しでも気になるフレーズがあったら直感を信じてご一読されることをお勧めします。