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輪廻転生 <私>をつなぐ生まれ変わりの物語

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読書メモ
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輪廻転生という言葉を聞くと何をイメージしますか?普段あまり考えることのないキーワードですが、最近よく耳にするようになった気もします。

世論調査では日本人の43%は「輪廻転生はあると思う」と答えているそうです。また、キリスト教が根付いているアメリカ人の間では「神」「奇跡」「天国」という概念への信仰率が低下する一方で「輪廻転生」の信仰率は増加しているとのこと。なぜでしょう?

輪廻転生という考え方はいつ頃から世界のどの地域で広がっていったのか。そもそも輪廻転生の前提となる「私」という存在はどうやって認知されるものなのか。

そして、前世を記憶している子供たちの事例が古今東西を問わず、今でも日々報告されている事実はどう捉えるべきか。

講談社現代新書「輪廻転生 <私>をつなぐ生まれ変わりの物語」(竹倉史人)を読んで、改めて輪廻転生について理解を深め、考えてみました。

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前世を記憶している子どもたち

実は、僕の息子も4, 5歳くらいの時に昔の記憶を突然話し出したことがありました。断片的でしたが、塔のてっぺんで甲冑を着たまま刺されたとか、戦艦に乗っていて爆撃を受けたとか、アメリカで自動車に乗っていて事故に遭ったとか、なぜか死ぬ瞬間のシーンばかり。この頃は毎晩、こんな夢ばかり見ていたようで、朝起きると繰り返し同じような話をしていました。

また、同じ頃に「自分は自分で両親を選んで生まれてきた」という話を彼から聞きました。「生まれる前、雲の上では子供がたくさんいて神様から次はどんな家庭に生まれたいのか選択するように言われた。雲の上から下界を見下ろすと、パパとママが仲良く買い物をしている姿が見えた。あのおうちの子供になりたいと神様に言って僕は生まれてきた」というような話でした。

当時は面白い話をするなぁと思っていましたが、本書では第4章「前世を記憶している子どもたち」の中で似たような事例が多数紹介されていて驚きました。アメリカの名門バージニア大学医学部の研究機関DOPSでは、こうした事例を半世紀以上に亘って全世界で2,600件以上収集し、科学的に分析しているそうです。

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科学的なスタンスによる考察

こうしたテーマは往々にして「本当にあるのか、ないのか」という二分論で語られがちですが、著者はこの点についてより客観的な立場から冷静に指摘しています。

p.164 これまでDOPSの「前世の記憶を語る子どもたち」の研究をめぐっては、しばしば「肯定派」と「否定派」という陣営によって議論が展開されてきました。前者は生まれ変わりを「真実」であると主張し、後者はそれを「虚偽」(勘違い、偶然の一致、欺瞞)であると主張するのです。しかし、こうした還元主義的で二値的な構図は、「生まれ変わりは本当か嘘か」という不毛な議論に収束しがちです。
 私見では、DOPSの事例は<真偽(true or false)>ではなく、具体的な状況証拠の吟味を通じて構築される仮説の<有効性(validity)>が問われるべきものです。(中略)
 ここで注意しておきたいことは、判決における事実認定は<真実は何か(What is the truth?)>という問いへの回答ではないという点です。それはあくまで、提出された複数の証言や証拠の吟味を通して、そこから推認される最も常識的かつ合理的な解釈のことなのです。つまり事実認定とは、<より有効な解釈はどれか(Which is a more valid explanation?)>という問いに対する回答に他なりません。

そのうえで、DOPS創設者である精神科医イアン・スティーヴンソンの著作について世界5大医学雑誌の1つである「米国医師会雑誌」が掲載した書評が紹介されています。

「生まれ変わりに関して、彼[スティーヴィンソン]は丹念に、そして感情を交えることなく、インドの詳細な事例を紹介した。これらの証拠を、他の原因によって説明することは困難である。(JAMA, 234号, 1975年)」

このように本書では全編にわたって客観的な事実に基づく科学的なスタンスで輪廻転生について考察されている点が印象的です。

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歴史の視点、地理的な視点から俯瞰した輪廻転生

著者は「ひとことに「輪廻転生」といっても、時代や地域によってそのヴァリエーションがあまりにも豊富なため、それらを俯瞰して包括的に論じることが非常に困難」であると指摘し、本書では輪廻転生を3つのパターンに分類することで時代や地域を超えて存在している様々な実例を明確に鋭く分析しています。

第1章 【再生型】
古くから世界の各所で見られる考え方で、儀礼や呪術を介して人間が神霊に取り入ることで起こると考えられているパターン。死者が自分の家族の子孫として転生するのが特徴。

第2章 【輪廻型】
古代インドで発明された概念で、「カルマの法則」とともに語られるパターン。転生自体が望ましいことではなく、「肉体に繫縛され、欲望と苦悩に支配された人間界はあまり上等ではない世界」であり、「宇宙にはもっと素晴らしい世界があるので、早く地上世界から脱出してその理想境へ到達すること」が説かれる。

第3章 【リインカネーション型】
19世紀フランスを席巻した心霊主義で生み出されたもので、「来世を自分の意思で決定する、という自己決定主義の教義」が説かれるパターン。「近代版生まれ変わり思想ともいうべきもので、現代のスピリチュアリティ文化にも深い影響を及ぼして」いる。

こうした各パターンに照らして、西アフリカに居住するイグボ族やアラスカ南東部のトランギット族に伝わる輪廻転生の考え方から始まって、紀元前1200年ごろに編纂されたアーリア人最古の聖典「リグ・ヴェーダ」の死生観、ブッダが説いた五蘊を主体とした輪廻、プラトンがソクラテスに語らせたエルの神話に登場する輪廻転生、1823年の平田篤胤「勝五郎再生記聞」、1857年のアラン・カルデック「霊の書」に至るまで、古今東西のあらゆる輪廻転生の考え方が興味深くわかりやすく解説されています。

中でも驚いたのが、紀元前3世紀頃に書かれたプラトンの代表作「国家」の最終章で展開される「エルの神話」で語られる輪廻転生のエピソード。死者は天界へ行き、神様に提示された無数の「生涯の見本」の中から自分の意思で次の生涯を選ぶ、というもので、前述した息子が語った「自分は自分で両親を選んで生まれてきた」話と非常に似通っています。

時代や地域を超えて語られる輪廻転生の概念は、人間の奥深いところに共通的に横たわっている考え方なのではないかと感じます。

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輪廻転生とスピリチュアリティ文化のゆくえ

エピローグでは、1990年以降の日本で「忽然と日本語の語彙に流入」してきた「スピリチュアリティ」というカタカナ語について日本人の宗教意識の変化と合わせて考察されています。

p.208 日本社会においてスピリチュアリティ文化が急速に広まった背景には、日本人のライフスタイルの変化があります。高度産業化が進展した結果、社会の多様性・流動性が高まり、社会構成員の「断片化」が拡大しました。その結果、地縁・血縁を基盤に稼働してきた伝統宗教がうまく機能しなくなったのです。

p.210 ドイツの社会学者テンニースが唱えた「共同社会/利益社会」(ゲマインシャフト/ゲゼルシャフト)という構図から見ると、輪廻やリインカネーションの思想は、ともに伝統性の強い共同社会から個人性の強い利益社会への移行期に登場しているのです。

p.211 <輪廻型>や<リインカネーション型>の生まれ変わり思想は、物理的な地縁・血縁とはまったく異なった原理で、人びとのあいだに共同性(=つながりの感覚)を創出します。過去の誰かは前世の<私>であったのかもしれませんし、未来の誰かは来世の<私>かもしれません。(中略)
 現代の日本社会に暮らす一部の人びとのライフスタイルにとって、生まれ変わりという世界観が醸成する「つながりの感覚」が必要とされるのであれば、これからも輪廻転生は日本人の重要な死生観のひとつとして保持されていくに違いありません。

人類の歴史をたどりながら、輪廻転生をモチーフにして人間の死生観や現代の日本社会についていろいろと考えを深める契機となる1冊。少しでも興味を感じるところがあったら、ぜひ手に取ってご一読をお勧めします。知的好奇心が刺激されること、間違いなしです。

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