「あなたは、ただ忙しく生き、自分にとって本当に大切なことを見失っていないだろうか。
19歳で母国・韓国を離れ、日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、そしてまた新たな天地へと、つねにアウェイで挑戦を続ける著者が語る1分1秒を自分の大切なことだけに費やす生き方」と紹介されていたジョン・キムさんの「時間に支配されない人生」を読みました。
大半が「自分とどう向き合い、いかに生きるか」という視点で書かれているので、「そうは言っても人間はひとりじゃ生きてはいけない」なかで他者とどう関わっていくかという観点が少ないのは残念ではあるものの、本書の論点は「そうは言ってもまず自分自身を確立できなければ本当の人生は始まらない」という点だと感じており、その意味では非常に示唆に富んだ内容でした。
中でも僕が共感したメッセージについて、「今すぐ役立つノウハウ」的な内容と、「より本質的な知恵」的な内容とに分けて幾つかご紹介します。
今すぐ役立つノウハウ
時間の使い方
p.22 すべてに時間を均等に配分することは、自分の人生に対する冒瀆である。自分の命の欠片を、何に対しても同等に扱ってしまうのは、自分の人生において何が大切なのかを知らない、もしくは知ってはいてもそれを実践していない証拠だ。大切なことと大切ではないこと、大切な人とそうではない人。時間の配分においては、徹底的な差別化を図らねばならない。
本書のタイトルにもなっている時間の使い方について。仕事や勉強会、趣味等、様々なコミュニティに顔を出せば出すほど色々なイベントに誘われます。全部おつきあいしていると恐らく週の半分以上は飲み会やら勉強会やらで埋まってしまいます。僕が心掛けているのは、本当に自分にとって大切な人、大切なことに時間やお金を傾斜配分すること。
単なる付き合いの飲み会には行きませんし、二次会には滅多に行きません。ゴルフはLA時代にはよく行きましたが、日本に帰国してから8年間、一度も行っていません(車で20分、$20でフルコース回れる生活を経験してしまうと日本でゴルフをするためにかかる時間とお金があったら別に投資したい)。
付き合いが悪い奴と思われているでしょうが、本当に会いたい人には自分から声をかけて幹事を買って出てでも機会を作ってゆっくり呑みます。このメリハリは相当に意識して自分に常に自問自答しながら時間とお金の使い道を吟味しています。
p.32 無意識には、大きなポテンシャルがある。たとえば、講演をする際に、私はメモ用紙にいろいろと書いたりはするが、当日の朝までスライドなどの資料はつくらない。そして眠る前に自分の無意識に対し、「明日スライドが必要なので、朝までにスライドを準備しておけ」と言い聞かせて寝る。自分の中で素材だけを数多くつくっておき、それを凝縮する作業、組み立てる作業は、自分の無意識に任せるという方法だ。
そうすると、朝になるとちゃんと目が覚め、スムーズに資料をつくることができる。素材を凝縮し、組み立てるという作業を、眠っている間に無意識がしておいてくれるのだ。
ここまで追い詰めたりはしませんが、無意識を意識的に活用するスタンスは大事。根を詰めて一夜漬けするなら、ちゃんと寝て早起きして続きをやった方が効果的ということは、仕事でも勉強でも誰もが経験していることでしょう。人は寝ている間に無意識下でその日に得た情報を整理すると言います。
僕はある課題について考えるとき、集中的にホワイトボードに向かって1時間ほどブレストして何となく解決の方向性のヒントを得ると、意識的にその課題から遠ざかる時間を取ります。
こうして「寝かせて」いる間に全く関係のない仕事に没頭していると、ふっとした瞬間に新たなアイディアが閃いたり、バラバラに見えた事象がロジックですーっと繋がったりすることがよくあります。グリム童話の「小人の靴屋」やドラえもんの「小人ロボット」はこのことを教えてくれます。
こうした「ひらめき」が起こる条件については、Bhante Henepola Gunaratanaの「マインドフルネス 気づきの瞑想」や筑波大学名誉教授の村上和雄さんの「人生の暗号」の中で考察されていますので、興味のある方はリンク先のエントリーをご覧ください。
p.37 私は「この仕事にはこのぐらいかかる」というスタンスではなく、「私がこの仕事に与えられる時間はこれだけだ」と決め、その範囲内でこなす方法を考える。自分の行動を時間に支配されたくないだけだ。
そりゃ時間をかけたらそれなりのアウトプットは出てくるでしょうが、実際は費やした時間とアウトプットの質は正比例ではなく、ある時点を過ぎるといくら時間をかけても品質には大差ないというポイントに差し掛かります。そのポイントを踏まえたうえで、タスクごとの優先順位を意識して、限られた時間を予め自分で割り振る意識が大切です。
コミュニケーション
p.72 相手が話しているうちは、できるだけ質問を投げかけない。人は、一つひとつの会話の最後に、一番大切な内容を述べることが多い。聞く側がそれに配慮せず自分の話をはさんでしまうと、相手は障害物が置かれたように感じてしまう。(中略)
最初のうちは自分のことも極力語らない。相手が聞く耳を持つ前に自分のことを語っても、相手には届かない。相手を主役にして、それに反応する立場をとっていると、相手の言葉を咀嚼、理解する時間が生まれるため、自分が本当に語りたい内容も明確になってくる。
そうなった段階で、相手の文脈に沿う話や、状況の目的に合う話だけを、投げかける。そうすることで、双方の接点を築くことができ、より効果的なコミュニケーションが可能になる。
これはとっても難しいですが、真実。頭でわかっていても、実際に実行するのは本当に難しいです。特に僕は短気で、つい口を挟んでしまいがちなので、相当に意識して「まず聞く」ことを心掛けています。
p.76 よく聞くという作業は、相手に対してある種の警戒感を持たせることである。表面的には和やかに会話していても、そこに、中途半端な内容は話せないという緊張感や覚悟が生まれる。それが結果的には会話における自分のプレゼンスを高めることにもつながるのである。
よく聞くことで、より深く考える時間を手にし、それによって相手の真意を探って、その一点に集中した本質的な問いなり、感想なりを述べる。その「返し」の深さによって、相手は僕らの理解度や興味を推し量る。
この時、相手の期待レベルをひとつ上回るレベルで「返し」ができると、その会話はぐっと緊張感を増し、より本質的な対話へと深まっていく。特に重要な面談において限られた時間内でどれだけ深い対話ができるかは、こうした警戒感、緊張感をどこまで持たせられるかにかかっています。
p.78 私は、自分が発する言葉一つひとつが本質的かどうかを、つねに意識している。社交的な場では何でも話すが、そうでない場では、本質以外のことは話したくない。(中略)発する言葉一つひとつの意味が必ず本質的であること。それを周囲に認識してもらえれば、この人の話には耳を傾けるに値する内容があると思ってもらえる。
p.80 自分が発する言葉がどのような結果をもたらすかという想像力を持ち、言葉を発する以前に深く考えよう。そうすると、言葉の量は少なくなるし、速度も遅くなる。それでまったくかまわない。相手の解釈や考え方に何ら影響を与えられない言葉を垂れ流すのは、害毒以外のなにものでもない。
意志決定
p.126 選ぶ前の段階では、正解の可能性が高い道を選べるよう、最善を尽くすしかない。そのためには誰よりも情報収集を行い、状況を真剣に考察する。判断材料として必要な要素はこれ以上ないというレベルまで熟慮する。そして、もうこれ以上時間をかけて考察を続けても意味がないと納得したときに、最終的な選択を行えばいい。(中略)
そして、選んだ直後からは、自分の選択を正解にしていくという決意を持つ。どの道を選んだかで勝負が決するのではない。本当の勝負は選択した直後から始まる。人生は、あらかじめ正解が決まっている受験問題ではない。正解は宿命的に決まっているものではない。行動によって、自ら正解を構築していくのが人生である。
この「自分の選択を正解にしていくという決意」、「行動によって、自ら正解を構築していくのが人生」というスタンスは僕が本書で最も共感したところ。自分を正当化するために、ああだこうだと理屈を並べて環境や不運や他人のせいにするのは簡単ですが、そこからは何も生まれません。
さんざん悩んで迷った挙句、でも自分が決めたことについては最後までオーナーシップを持ってコトに当たる。結局、自分の人生、どう言い訳しても最後は全部、自分にかえってきます。自分の人生のハンドルは自分で握る意識、これだけは絶対に忘れてはならない基本的な姿勢だと思っています。
p.152 他者との間にトラブルが起きたとき、「どうして」と考えてはいけない。「どうして」と考え始めると、イライラが募り、怒りや不安が増幅する。他者は自分の思いどおりにはならない。自分の思いを他者を押し付けるのは不毛である。自分を変えることで他者を変えられると思えば、すべての行動、責任、原因を自分の内面に還元できるようになる。それは、言い訳や責任転嫁の余地がない、いわば自己完結型のシステムである。(中略)
鬱憤を晴らす。言い訳をする。誰かのせいにする。そうすると、一時的な爽快感は得られるかもしれない。しかし、自分の感情は徐々にむしばまれていく。「言わなければよかった」と後悔したり、取り返しのつかない事態を招いたりすることもある。他者の言動を「なるほど」と受け入れるのは、他者のためではない。あくまで自分の内面の穏やかさを維持するためなのである。
他者との関係においては、つい「どうして・・・」と言いたくなるところですが、そこを敢えて「なるほど」から始める。しょせん他人をコントロールすることなどできない訳ですから、自分ではどうしようもできないことについてあれこれ悩んだり怒ったりしても時間の無駄です。
ならば、いちど「なるほど」と相手を受け入れてみるという発想。「起こってしまった事態はもうどうにも変えられないので事実としてまず受け入れたうえで、その事実に対してどう反応するかは自分次第ということ」とも言えます。
これも実際に実行するのは難しいですが、こういう発想のクセを意識的に訓練することで、不毛なトラブルやフラストレーションから自分を解放し、より本質的な世界に目を向けるきっかけづくりができるようになっていきます。
より本質的な知恵
自分の評価軸を持つ
p.55 子どもでなくても、周囲の援助がないと生きていけない若いうちは、外部の評価軸のもとに生活していかざるをえない。周囲の評価軸とは社会性を意味する。社会は、家、学校、会社のルールや常識に則り、そこで受け入れられる自分を演じることを我々に求めてくる。(中略)
「大人になる」とは、外部の評価軸を受け入れるだけではなく、自分の評価基準を育てることと同時進行でなくてはならない。そして、ある時点で、両者の主従を逆転させることが必要になる。(中略)
自分のなかに、外部と内部の、二つの価値基準が存在することを意識する。そして、信頼に値する内部の価値基準を育てることで、外部の価値基準に揺さぶられない自己を確立する。そのような内面的な成長こそが、人生において最も優先順位の高いものであるという信念を持たなければならない。p.65 自分では最善を尽くしたと思っていても、客観的な結果が得られないとき、人は不安を感じたり、いたたまれない気持ちに苦しんだりする。だが、コントロールできない外部的な要因に、よけいな時間とエネルギーを費やすのはもったいない。客観的な結果と自分の内面にある結果は違ってよい。最終的な評価者はあくまで自分である。客観的な結果とは違う次元で最善を尽くしたという感覚があるなら、それは完全に成功だと認識してよいのである。
僕が極めて意識的に自分なりの評価軸を持つことを考える契機となったのは就職活動でした。それまでは周囲から与えられた社会性という外的な評価軸に合わせて無意識のうちに自分の行動指針としていたのが、いざ社会人として経済的にも社会的にも自立を求められる段になって初めて本気で自分のこれからの人生、何を大切にしてどんな軸で仕事を選び、社会と関わっていくべきか、といった問いを抱き、自問自答の繰り返しの日々でした。
散々悩んだ挙句に、まわりの友人の多くが進んだ銀行や保険といった大手金融機関や一流メーカー、あるいは外資系コンサルティング会社といった数々の内定を辞退して、最終的に選んだのは当時、友人やゼミの指導教授も誰も知らなかったほとんど無名の未上場IT企業。
周囲からは「なんで○○海上に行かないの」等といった声がたくさん聞こえてきましたが、自分なりに考えを尽くして出した結論だったので、不思議と心は平穏でした。それと同時に、あえてここを選んだ以上は「何でも勉強だと思って必死に取り組んで吸収しよう」という想いだけは誰にも負けないという自負を持って入社したことを思い出します。
挑戦=成長
p.45 私が魅力的だと思うのは、つねに挑戦をしてきた人間である。挑戦をしたかどうかだけで人間を分けてもいい。挑戦の経験と現在のパフォーマンスは確実に比例関係にある。
p.199 いま現在の居心地のよさに安住して、未来の自分の成長を奪ってはいけない。居心地のよいいまから離れることに、居心地のよさを感じる自分であり続けたいと思う。
人生に棚ボタなどなく、結果を出している奴は何かしらそいつなりに考え、見えない努力を積み重ねてきて今がある。僕はそう思っています。歳を重ねるにつれて、それなりに居心地がよくて楽ができるポジションを見出すこともできるようになってきますが、いちど甘んじて挑戦をやめたら成長もそこまで。あとはひらすら衰退の一途です。“Pushing yourself out of your comfort zone”精神をいつまでも忘れず、あえて意識して挑戦する気持ちをこれからも大切にしていきたいと思います。
幸福とは?
p.66 幸福とは、一生懸命頑張って最終的に到達する地点ではない。幸福は、成長のために努力していることを確認できた瞬間に訪れる。幸福とは結果ではなく、自分が納得のいく生き方をしている「状態」なのである。(中略)
幸福は、目標達成を目指して努力する今日にある。今日は不幸でも、その我慢が明日の幸福をもたらすという代替的な考え方をやめよう。今日が幸福だから、明日も幸福なのだという補完関係に、自分のマインドをシフトさせよう。幸福の置き場所を未来にすえるのは、非常にリスキーである。自分が明日も生きているという保証はどこにもない。この瞬間が最後かもしれないという意識をつねに持ち、いまを幸福にするために生きる方がずっと理にかなっている。
幸せについてはたびたび考えさせられます。著者の「幸福とは結果ではなく、自分が納得のいく生き方をしている「状態」なのである」というスタンスには深く共感します。いつか幸せになる、ではなく、目の前の幸せに気づくこと。
幸せかどうかなんて自分が決めるものであり、人が何と言おうと自分が幸せなら幸せと言い切ってそれを噛みしめればいい。いまそこにある幸せを感じられる感性を大事にしたいものです。
ここまで読んでみて1つでも心に響いた箇所があったなら、ぜひ本書を手にしてみてください。ここではあくまで僕の主観で共感したフレーズを紹介したまでですが、他にも前向きな気持ちになれるメッセージが込められた1冊です。