読書メモいま思うこと

限りある時間の使い方

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読書メモ
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「限りある時間の使い方」なんて言うと、またよくある時間管理のノウハウ本かな、と思ってしまいがちですが、本書はその真逆の大切さを説く本です。

そもそも時間を管理するという考え方自体が間違っている。時間は人間がコントロールできるようなものではない。そんな幻想を捨てて、いま目の前の時間を存分に生きることこそが大切。

古今東西の様々な人々の言葉や研究結果などを紐解きながら、そんなメッセージがひたすらに繰り返されます。知らずのうちに資本主義の世の中にどっぷりと浸かってしまっている僕らに、忘れがちな大切なことを気づかせてくれる一冊です。

「ゼロで死ね」と併せて読むと理解が深まるのでお勧めです。

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人生には「今」しか存在しない

 人生は有限であり、だから必然的に、二度とない体験に満ちている。息子のお迎えは、いつまでもできる体験ではない(そのことを考えると悲しいが、30歳になった息子のお迎えをしたくないのも事実だ)。生まれ育った家を訪れたり、海で泳いだり、恋をしたり、親しい友人と深い話をすることにも、いつか終わりが来る。そして僕たちはたいてい「これが最後」と気づかないまま、その時を過ごしてしまう。だからどんな経験も、それが最後の機会であるかのように大切にするべきだ、とハリスは言う。
 実際、人生のあらゆる瞬間はある意味で「最後の瞬間」だ。時は訪れては去っていき、僕たちの残り時間はどんどん少なくなる。 この貴重な瞬間を、いつか先の時点のための踏み台としてぞんざいに扱うなんて、あまりにも愚かな行為ではないか。

p.156

子育ての真っ最中はそんな余裕もなく、日々のタスクに追われるので精一杯でしたが、子どもたちが成長して手がかからなくなってくると「子どもたちを世話できる時間」がむしろ愛おしく感じるものです。

我が家の場合は、息子が人一倍に独立心が強く、大学3年生の時に突然、ひとり暮らしを始めることになりました。心の準備ができていなかったので驚き、寂しい気持ちが募りましたが、これも大切な成長の過程。

たまに実家に戻ってきた時も、これといって何か特別なことはありませんが、他愛もない話をしたり、一緒に食事をしたりする何でもない日常の時間が本当にかけがえのない時間に感じます。

 限りある時間を未来のための道具にしてしまうのは、僕たち自身のせいばかりではない。何もかもを単なる道具とみなす経済システムのなかで生きていれば、そうなるのも当然だ。
 資本主義とは、あらゆるものを道具化する巨大な機械であるといっていい。地球の資源、時間、あなたの能力。すべては将来的な利益を生むための手段だ。そう考えれば、資本主義社会の大金持ちがなぜ不幸であるのかも理解できる。
 彼らは自分の時間を、利益を生むための道具として使うことに長けている。それが資本主義社会での成功の定義だ。ところが時間を有効活用することに躍起になるあまり、彼らは現在の生活を、将来の幸福に向かうための移動手段としか考えられない。 現在を楽しむことができないのだ。
 経済的に貧しい国の人たちのほうがどこか幸せそうに見えるのも、きっとそのせいだ。将来の利益のために人生を道具化しない人たちは、現在の喜びを充分に味わうことができる。実際、メキシコはアメリカよりも貧しいけれど、幸福度の指標ではアメリカを上回ることが多い。

p.156

振り返ると「今は将来のために頑張るとき」と考えて無茶をしたこともありましたが、そんな時に限って体調を崩したり、空回りしがち。

「今はまだ本気出していないだけ」という言い訳もあれですが、「今を犠牲にして将来のために」という生き方もしたくない。

人生の目的とは?幸せとは?という根源的な問いかけは、特に30代前半で激務の現場を離れて、MBA留学のために2年間、ロサンゼルスで当時2歳の息子と妻と3人で暮らした日々から深まりました。

 こんな小話を聞いたことがあるかもしれない。 メキシコの漁師が1日に2~3時間しか働かず、太陽の下でワインを飲んだり、友達と楽器を演奏したりして過ごしている。それを見て愕然としたアメリカ人のビジネスマンは、漁師に勝手なアドバイスをする。
「もっとたくさん働きなさい、そうすれば利益で大きな漁船をたくさん買って、他人を雇って漁をさせ、何百万ドルも稼いで、さっさと引退することができる」
 それを聞いた漁師は「引退して何をするっていうんだ?」と尋ねる。ビジネスマンはそれに答えて言う。
「太陽の下でワインを飲んだり、友達と楽器を演奏したりできるじゃないか」
 時間を有効活用せよという資本主義の圧力は、人生の意味を徐々に食いつぶしていく。

p.157

この小話は、僕がMBA留学中にクラスメートから転送されてきて初めて読みました。もう20年ほど昔の話ですが、当時の衝撃は今でも覚えています。それ以来、お金の意味、時間の意味、人生の意味といったことをいつも頭の片隅において生きてきました。

この漁師の話のフルストーリーはこちらで読めます。

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忙しさへの依存を手放す

 世界はどんどん加速し、僕たちは超人的なスピードで動くことを期待されている。その速度に追いつけなければ、幸せもお金もけっして手に入らない気がする。自分が置いていかれないかと怖くなり、安心感が欲しくてもっと速く動こうとする。
 ところが不安は消えず、依存のスパイラルが加速していくだけだ。不安を消そうとするほど不安は増し、速く動こうとすればするほど、ものごとが思うように動かないという事実に打ちのめされる(その一方で、急ぎすぎて仕事のクオリティが下がったり、食生活が乱れたり、人間関係が悪化するなど、別の悩みもどんどん出てくる)。
 なんとか苦しみから逃れようとしても、できることといえば、もっと速く動くことだけだ。本当は急ぐべきじゃないとわかっている。だけど、今さら急ぐことをやめるなんてできない。
 そういう生き方は、必ずしも不快なわけではない。アルコールで気分が上がるのと同じく、超速で生きることには陶酔するようなスリルがある(英語で急ぐことを意味する「rush」という単語に、薬物をやったときの恍惚感という意味があるのは偶然ではない)。
 ただし、そんな生き方では、心の平穏はけっして得られない。
 さらに困ったことに、アルコール依存なら誰かが気づいて介入してくれるかもしれないが、忙しさ依存に陥ってもまず誰も助けてくれない。社会全体が、忙しさ依存を推進しているからだ。あなたが絶望的な状況だとしても、「ずいぶん精力的に働いているね」とほめられるのがオチだろう。

p.198

こうした資本主義の行き過ぎた競争社会について、「直感と論理をつなぐ思考法」では「「荒野」でのシェアの奪い/奪われ合いそれ自体には、ゲームのような楽しさがある。しかし、大きなプレッシャーやストレスを感じながら、それを一生繰り返したいと思える人は、ごくひと握りしかいない。要するに、こうした競争状態には「持続可能性」がないのである」と表現されています。

忙しさの「依存症」になる前に、この終わりのないゲームの異常性に気づくことが大切。

 趣味が軽視されるようになったのは、時間の道具化が起こったのと同じ時期だった。道具化の時代において、趣味に生きる人は破壊者だ。生産性や利益の面からは何の意味もないのに、それ自体のために何かをやりたいというのだから。
 人が熱心な切手収集家や鉄道写真家をバカにするのは、ある種の防衛メカニズムなのかもしれない。彼らこそが本当の幸せを知っているという不都合な現実を認めたくないのだ。
 目標志向の僕たちにとって、趣味に生きるのはなんだか居心地が悪い。「副業」が世間でもてはやされるのも、金儲けという口実があるほうが、ただの趣味より受け入れやすいからだろう。
 本当の充実感を得るためには、趣味というのは少し恥ずかしいくらいがいいのかもしれない。ちょっとした気まずさを感じることこそ、社会的に認められた結果を目的としない、純粋な趣味の証拠だからだ。

p.186

効率性とは正反対に位置していて、他人に何と言われようと、好きなものに時間やお金を費やすのが趣味。「推し活」をしている人たちの目の輝きは生きる喜びです。

僕の場合は、読書や音楽・映画鑑賞、ゲーム、旅行、仮想通貨投資、テニス、筋トレ、ボクセルアート、ブログ執筆等、ありきたりな趣味ですが、週末の時間があっという間に過ぎてしまうほど没頭できる趣味がたくさんあることは人生の幸せに直結しています。

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僕たちに希望は必要ない

本書の主張は最後のくだりに要約されています。

 希望を捨てたとき、あなたは自分のチカラで歩みだすことができる。
 自分の限界を認めるとは、すなわち希望を捨てることだ。正しいやり方を身につければ、あるいはもっと頑張れば、どんな無謀なことも成し遂げられるという希望。すべてを計画どおりにコントロールし、あらゆる苦痛を避けたいという希望。そうした数々の希望の根底にある、いつか本当の人生が始まるんだという希望、今はまだリハーサルで、そのうち自信満々で人生本番を生きられるにちがいないという、途方もない希望。
 そんなものは、今すぐ捨てたほうがいい。(中略)

 この不愉快な現実は、しかし、自由への一歩だ。
 幻想にしがみつくことをやめて、現実をしっかりと見つめたとき、そこに現れるのは無力さではなく、あふれんばかりの活力だ。(中略)

 そのあとに残るのは、もっと生き生きとした自分だ。以前よりも喜びとやる気に満ちた自分だ。現実をあるがままに見つめれば、悪いことだけでなく、良いことも存分に受け入れられる。(中略)

 人の平均寿命は短い。ものすごく、バカみたいに短い。
 でもそれは、絶望しつづける理由にはならない。限られた時間を有効に使わなくてはとパニックになる必要もない。(中略)

 さあ腕まくりをして、自分にできることに取りかかろう。

p.269

シンプルなメッセージですが、忙しさ依存症の真っ只中にいる人は自分が異常な世界でもがいていることに気が付けないもの。

僕はいつもどこか一歩引いたところで自分なりの仕事とプライベートの境界線を意識してきたように思います。20代後半から30代前半にかけて、心身を損ねる寸前まで耐えて仕事に没頭していたこと、そして2年間の大学院生活を通して本当に自分にとって大切なことを見つめ直す時間が得られたことで、そうした価値観が自然と養われたのでしょう。

忙しすぎる、やらなければならないことが多すぎる、時間に追われて本来やるべきことができていないような気がする、という感覚を持っている人は読書する暇も余裕もないのだと思いますが、そんな人にこそぜひ読んでほしい一冊です。

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ロサンゼルスMBA生活とその後