読書メモいま思うこと

目に見えない大きな流れ

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2年間の留学から帰ってきて早いものでもう4ヶ月ほど経ちました。皆さんがおっしゃっていた通り、いったん東京に戻ってくると、忘れかけていた日々の仕事に要求されるスピード感、そして永年慣れ親しんでいる街の現実感とに圧倒されて、LAでの日々は既に遠い過去の記憶となっています。

と同時に、留学前にはなかった静かな自信というか、まぁ人生何とかなるさという気持ち(もともと楽観主義ではありますが)がすーっと心身に浸透していることに気づきます。もともと海外志向が強かった訳でもない僕が紆余曲折の末に留学することとなり、今はその経験を活かして今までとは全く異なる新たなキャリアの一歩を踏み出していることを思うにつけて、「先のことはわからないなぁ」という思いを新たにしています。

また、今までの自分を振り返ると、色々とあくせく悩んでジタバタしている時は総じていい結果は出ず、一方でどっしりと腹を据え、心を安静なニュートラルに保ちながら自分の本当の心の声に耳を傾けるとき、そしてその瞬間のひらめきや直感を信じて道を選択したときは後で思うと不思議なほどに正しい選択だった、ということが多々あったように思います。

いわば、「ああ 川の流れのように おだやかに この身を まかせていたい」といった心境です。そんなことを想い、結婚記念日のディナーで妻に話した翌日、たまたま実家を訪れた際に父の書棚にあった本の中から何となく興味を持って手にした本、SONYでCDやAIBOを開発し、12年も役員を勤めた天外伺朗(土井利忠)さんの本の中でこんな一節を見つけました。

ふつう「計画」というと、目に見える出来事だけを考えます。ところが、それとは別に、目に見えないレベルで、それよりもはるかに大きな計画があり、流れがあるようです。そして、私たちがあさはかな智恵や理性による判断を手離して、目に見えるレベルの計画を立てるのをやめると、かえって、その目に見えない大きな流れに上手に乗れる、という傾向があるのかもしれません。すると、何事もスムースに、幸運なハプニングの連続になります。

また、その数日後、縁あって文化庁長官の河合隼雄さんの講演を聞いた際に、河合さんがまさに同じような趣旨のお話(「あくせくして目先のことで色々と悩むのではなく、大河の流れに身を任せるように次から次へとやってくる出来事に対して自然体で臨むべし」)をされていて大変驚きつつも深く共感しました。

そして、一昨日、近所の図書館でたまたまタイトルに惹かれて借りた、よしもとばななさんの本にはこんなくだりが。

「でも、このまま行くと、自分が何もしていないのに、いつのまにか、喫茶店の跡継ぎか、スキーインストラクターの嫁しかも姑つきっていうのか、保育園で働くか、どれかになってしまうような気がするの。自分ではなんにも選んでいないのによ。」
「そういうのが最高なんじゃないのか?自然に、川のように流れて、あるところにいつのまについてしまうっていうのが。」

これもユングの言うところの一種の共時性(Synchronicity)なんでしょうか。そんなことを考えていると、その共時性とメッセージ性に満ち溢れた、僕と妻との出会い、そしてプロポーズした晩の不思議な出来事も、「目に見えない大きな流れ」の中で来るべくして起こった必然だったのかもしれないと今は感じています。

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