読書メモ

経済は「競争」では繁栄しない

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「情けは人のためならず」という言葉がありますが、僕はこれが結構好きです。

どうもボランティアとか、慈善活動というと、人のために自分を犠牲にするといった滅私奉公的な側面が強すぎるきらいがありますが、僕は何か人の役に立つようなことをするときは構えずにまずは「自分のため」と思うようにしています。

相手の助けになれて感謝してもらえるだけでなく、人の役に立てたことで自分も嬉しい気持ちになれますし、こうしたちょっとした積み重ねが巡り巡って何よりも自分のためになっているという感覚があります。

もちろん短期的に見ると、時には恩を仇で返されるようなこともありますが、今までを振り返ると、まずは自分をオープンにさらしたうえで相手の懐にふっと入り込んでみること、ちょっとした親切を先に差し出すことで得られるものの方がトータルでは十分に上回っている実感があるので僕はこのスタンスを信じています。

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利他的な行動は人間の本能

クレアモント大学院大学経済学・心理学・経営学教授でクレアモント神経経済学研究センター所長、ロマリンダ(Loma Linda)大学医療センター臨床神経経済学教授を務めるポール・J・ザック (Paul J. Zak)の『経済は「競争」では繁栄しない』”The Moral Molecule – The Source of Love and Prosperity”によると、実はこうした利他的な行動は生物学的なレベルで人間の本能に根差しており、人間社会では利他的な行動をとる人は利己的な行動をとる人よりも生き残る確率が高いように設計されている、と言われています。

ポール・J・ザック (Paul J. Zak) 2004年、人間が相手を信頼できるか否かを決定する際に脳内科学物質の「オキシトシン」(oxytocin)が関与していることを発見し、以来、オキシトシンが人間のモラルや社会行動に与える影響の研究に邁進。論文も数多く、行政機関、警察、経済、医学、心理学、宗教界等の関心を集めている。その被引用回数は数千回を超える。

彼の研究成果は、オキシトシンが生み出す信頼感が人間社会を支えるベースとなっており、人間の利他的な行動様式は後天的に得られるというよりもそもそも人間に生まれながらにして備わっている仕組みであることを示しています。

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親切な行動以上に利己的な行動はない

ハーバード大学のTal Ben-Shahar博士は著書「ハーバードの人生を変える授業」の中で「親切な行動以上に「利己的」な行動はないと、私は考えています。日頃から親切な行動を心掛けていれば、その報酬として、幸せという「究極の通貨」をつねに得ることができます。」と述べていますが、まさに同じような考え方と言えるでしょう。

p.237 道徳性は希望的な考えではなく、生物学的作用、それもとくに、ここまでくればもう明らかなように、オキシトシンの生物学的作用だ。それはつまり、向社会的行動と一致し、一般に道徳的行動と呼ばれる行動は、日曜学校の授業から採用されたのではなく、長い歳月の試練に耐えた生存戦略であり、自然選択というこのうえなく過酷な現実主義者によって形づくられたものなのだ。

となると、企業内で幅を利かせている成果主義というシステムは実は不合理で人間の本質にそぐわない仕組みということができます。もちろん、個人の資質や努力、結果といったものを評価することも必要ですが、それだけでは不十分であり、こうした個人の成果に加えて「周囲に対する貢献」といった側面についても同様にきちんと評価することが重要になってきます。

評価システムとはインセンティブ設計であり、良くも悪くも企業内で働く人々の行動はこの評価システムというゲームのルールに縛られます。だからこそ、「周囲に対する貢献」を正しく評価するというメッセージを経営が示すことで社員は協働する方向に自然と向かいます。

その結果として、徐々に「不機嫌な職場」のギスギス感は減っていくでしょうし、こうした貢献主義的な評価モデルは「経営の未来」で示されたような「人間の自発性や創造力や情熱を本当に引き出し、尊重し、大切にする21世紀の経営管理モデル」のベースになる価値観だと思います。

p.54 私は1年以上かけてモデルを開発し、社会における信頼のレベルこそが、その社会が反映するか貧困の淵に沈んだままでいるかを決めるもっとも強力で、かつ単一の要因であることを実証した。契約を履行させられること、つまり、他人を当てにし、その人が約束したことを実行し、騙したり盗んだりしないと信じられることは、国家の経済発展にとって、教育や資源へのアクセスよりも、いや、ほかの何よりも強力な要因なのだ。

p.280 何年も前、初めて国内各地で信頼の度合いを測定したとき、私は85の変数を調べた。いずれも、オキシトシンの分泌やテストステロン、社会レベルでのストレスと結びついている可能性があるものだ。これらの変数のうちでもっとも強い相関が見つかったのは、幸せと信頼だった。この緊密な相関は、国家の所得レベルとは無関係に成立しつづけた。豊かであろうが貧しかろうが、信頼に満ちた社会に暮らしている人は間違いなく幸せになるのだ。

さらに、こうした評価モデルは企業内にとどまらず、国家というより大きなコミュニティにも当てはまると言います。確かに、単なる経済的な側面だけが豊かな社会であっても、当たり前のように約束が果たされること、他人を信じることが尊重されないような社会では人は安心して暮らしていけないでしょう。人と人との信頼関係がしっかりとベースにある社会では人はより幸せを感じられるようになる、という指摘はしっくりきます。

行き過ぎた合理主義、資本主義の先にはゼロサムゲームしかありません。「生きる意味」で上田さんが指摘している『社会の中に「信頼できるもの」、「私をぜったいに見捨てることのないもの」をどれだけ持つことができるか、そのことが私たちの「内的成長」を深く支える基盤になる。(中略)支えがあればこそ、私たちは人生にチャレンジをすることができる。世界に信頼があるからこそ人生が自由になるのである。』というメッセージがより一層、心強く響いてきます。

※彼のTEDでのプレゼン「信頼と道徳性、そしてオキシトシン」はこちらから観ることができます。本書と併せてどうぞ。

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