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反省記 ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの”地獄”で学んだこと

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マイクロソフトの設立初期にビル・ゲイツと出会い、その盟友として黎明期のMS社の発展に尽くした元アスキー社長の西和彦さんの半生記「反省記」を読みました。

パソコン少年だった頃に夢中で読んでいた月刊アスキーやログイン等の雑誌や、オリオン・クエストに代表されるPC-6001向けの数々のゲームの名作を生み出したアスキー社。その創立者の西さんが、ビル・ゲイツとの出会いからアスキー社での数々の試練、そして現在に至るまでの半生を振り返ったという本書は読まないわけにいきません。

当時は小中学生だったので、パソコンブームの裏側で大人たちがどんなことを考えてビジネスとしてPCに取り組んでいたのかは全く知らなかったし興味もありませんでしたが、あの雑誌I/Oも実はアスキー創立前に西さんが工学社を共同設立して立ち上げた等、本書を読んで初めて知ったことがたくさんありました。

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マイクロソフト設立の裏話

前半のハイライトは、西さんがあのビル・ゲイツと一緒にマイクロソフト社を一気に大きくさせていくプロセス。

p.33 驚くべきことに、このとき、彼らは「アルテア8800」の現物をもっていなかった。

そこで、ポール・アレンは、インテル「8080」のマニュアルを研究して、ハーバード大学の大型コンピュータに「アルテア8800」のマネをさせるプログラムを書いた。そして、その大型コンピュータの中で、彼らは、4キロバイトに収まるプログラムをBASICで書き上げたのだ。しかも、たった8週間で……。(中略)

そして、1975年春、彼らは「アルテア8800」ように書き上げたBASICをMITS社に持ち込み、30万ドルでライセンスを供与。ソフトウェアをコンピュータ・メーカーに売り、ロイヤリティを受け取るという画期的なビジネスモデルを生み出すとともに、この30万ドルを元手にマイクロソフト社を設立する。このとき、ビルは19歳にすぎなかった。

天才的な技術力ですが、併せてソフトウェア・ライセンスというビジネスモデルをこの時にビル・ゲイツが生み出していたということに驚きました。

p.34 僕が、1978年2月に、図書館で読んだのは「この話」だった。

マイクロソフトという会社が、インテルのマイクロ・プロセッサー「8080」用のBASICをを作って売っている。しかも、1977年に発売され、”パソコン御三家”として話題になっていた、アップルの「アップルⅡ」、コモドールの「PET2001」、タンディの「TRS-80」にも採用されていると書かれていた。(中略)

ビル・ゲイツに直接会って、僕の思いを伝えたかった。彼が、僕と同い年であることにも興味をひかれた。(中略)

そこで、その日のうちにビルに国際電話をかけた。

当時、通っていた早稲田大学理工学部の図書館で米国の雑誌から常に最先端のニュースに触れていたという立ち位置と、この記事を読んでその価値に気づき、その日のうちにビル・ゲイツに電話したという西さんの行動力は凄まじい迫力です。

その後、アポを取ってアメリカへ飛んで直接ビル・ゲイツと話し込んで意気投合。そこから、日本でのパソコンに搭載されるBASICの独占販売権を手にして日本のパソコンブームを牽引していく様子が生き生きと伝わってきます。

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MSXの裏話

日本のパソコンに搭載されているBASICはメーカーごとに少しずつ文法が異なっていて互換性がなかったことから、日本発のパソコン統一規格を狙って立ち上がったMSX構想というのがありましたが、実はこれも西さんが仕掛けていたという話を本書で初めて知りました。

また、こうした日本メーカー各社のパソコンに搭載されていたBASICは全てマイクロソフトが開発したBASICをベースとして、アスキー社が独占的にライセンス販売した先で独自に開発されていたものと知り、西さんの先見の明と当時のアスキー社の圧倒的に優位な立ち位置を初めて理解しました。

小学3年生のときにNECのPC-6001を買ってもらい、BASICでのプログラミングの虜になってゲーム等を作って遊んでいた僕は、様々なメーカーがこぞってMSXマシンを発売し始めたあの頃の盛り上がりは体で覚えています。

ただ、小学生の僕をして、スペックとしては中途半端でおもちゃっぽい印象だったMSXは欲しいとも思わなかったのも事実。

p.198 残念だったのは、当初、MSXへの参画を表明したNECが、最終局面で「考え方としてはいいが、うちは乗れない」と撤退を決定したことだった。パソコン市場に大きな影響力をもつNECの撤退は痛手だったが、MSXと正面からぶつかる家庭用パソコン「PC-6001」があったから、それもやむを得ない判断だったのだろう。

MSXの裏には大人の事情で様々な駆け引きがあったという背景や、ファミコンとのポジショニングの話など、子供の頃の思い出を大人目線で振り返って謎解きをするような感覚で読みました。

また、西さんの2歳年下の孫正義さんが実はMSX対抗軸を準備していて、あわやガチンコ勝負というところで二人が話し合って正面衝突を避けたエピソード等、今だから語られる裏話が刺激的です。

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経営者目線での反省

後半は、ビル・ゲイツと大喧嘩してマイクロソフトを去るところから始まる怒涛の人生記。

上場前のマイクロソフト本社への参画を打診された西さん、億万長者になる話を直前になってビル・ゲイツとの大喧嘩が原因で一方的に断ってしまいます。

ビル・ゲイツの下で働くよりも、アスキーの共同設立者である郡司さん、塚本さんとの友情を優先してビル・ゲイツと決別したはずの彼は、結局、その後に郡司さん、塚本さんとも大喧嘩をして、最終的には自分が創業したアスキー社を去ることに。

一般人には理解できないですが、天才的な先見性や行動力、そして感情で突き進むところ、これらを全てひっくるめての西さんというパーソナリティなんでしょう。

本書では、アスキー社の財務が危機的な状況のなか、借金取りから逃げようとして衝動的にビルの7階のトイレ窓から飛び降りようとした時、窓枠が小さくて体が通らなかった話など、読んでいるだけでも胃が痛くなるエピソードが続きます。

部下の造反や、仲間の裏切り、金融機関からの厳しい取り立て、興味本位で騒ぎ立てるマスコミ。そうした苦しみの中で、西さんが少しずつ体で会得していった経営者としての覚悟は説得力があります。

p.345 社長は、バランスも取らなければならない。時には「取引」も必要だろう。だけど、会社に一本スジを通った背骨をつくるためには、誰か一人の意思を貫く覚悟が必要なのだろう。それが「社長」であり、それこそが「経営」ではないか。(中略)

そして、僕には、未来のビジョンもあったし、貫くべき意思もあったと思う。経営者として備えておくべき知識も、徐々に身につけ始めていたと思う。だけど、造反されて権威が傷つき、求心力を失いつつあった僕は、カンパニー制を押し返すだけの力を失っていた。情けない……と思う。結局のところ、全ての責任は社長のもとにあるということなのだ。

ただ、こうした経営者としての目線からの反省記としては、「疲れたら寝る」「広い心を持つ」「感謝する」といったキーワードで結構あっさりと書かれています。

その意味では、斉藤徹さんの「リブート 波乱万丈のベンチャー経営を描き尽くした真実の物語」は創業起業家の孤独で壮絶な心の葛藤とそこから這い上がるまでの心境の変化がリアルに描かれていて非常に読み応えがありました。

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ソフトウェアにこだわったマイクロソフトの方針転換

西さんがビル・ゲイツと決別した理由の1つは、半導体事業への方針の違いでした。

p.238 インテルの半導体は高かった。マイクロソフトはOSを一台50ドルで売っていたが、インテルは一台につき500ドルで売っていた。これが50ドルにできれば、パソコンが450ドル安くなるということ。それは、パソコンを大衆化するためにも、いいことではないかと思っていた。

だから、僕はこう主張した。

「マイクロソフトは半導体開発事業に参入すべきだ」

何度か、会議でも提案したが、僕以外の全員が否定的だった。おそらくビル・ゲイツも含め、他のみんなは、当時の盟友・インテルと競合する半導体事業に参入すべきではないと考えていたのだろう。餅屋は餅屋、マイクロソフトはあくまでソフトがメインで、守備範囲を広げるべきではない信念もあった。

ウィンテル連合で世界を席巻したこの戦略は当時としてはやはり正しかったんだと思います。

一方で、通信回線の高速化とデータ圧縮技術の高度化により、今ではPC側の処理スペックへの要求よりも、回線の向こう側にあるクラウド側のデータ処理能力が問われる時代にシフトしてきています。

そんな中で、マイクロソフトもビジネスモデルを従来のようなワンショットでのライセンス売りからクラウド上のサービスのサブスクリプションモデル(定額の利用料を支払い続けることでサービスを受けられるビジネスモデル)へ急速に転換しています。

こうなると、ネット経由で提供するサービスの差別化はクラウドの性能や安定性とセットとなるため、必然的にクラウドを構成するハードウェアの重要性が高まり、そこをインテル等の外部調達に依存するビジネスモデルはリスクが高くなります。

Google Cloudのグーグル、AWSのアマゾンはそれぞれ自社で独自にプロセッサ開発に乗り出しています。

そんなことを考えながら本書を読んでいたら、「マイクロソフト、半導体を自社設計へ サーバーやPCに」というニュースを見かけました。

[18日 ロイター] – 米マイクロソフトが、クラウドサービス向けのサーバーとパソコンの「サーフェス」に、自社で設計・開発したCPU(中央演算処理装置)を搭載する計画を進めていることが分かった。事情に詳しい関係者が明らかにした。

同関係者によると、マイクロソフトは英半導体設計大手ARMの半導体技術を利用する。実現すれば、米半導体大手インテルへの依存度が下がる可能性がある。(中略)

マイクロソフトの広報担当は、半導体を重点分野と考えているとし、「設計・製造・ツールといった分野で自社の能力への投資を続けていく」と述べた。

ロイター

30年以上前とは背景が異なるとは言え、西さんが主張した半導体事業への参入を今になってマイクロソフトが決めるという皮肉な展開です。このニュースを西さんはどんな気持ちで読んだことでしょう。

1980年代のパソコンブームを知っている世代の人はワクワク・ドキドキしながらあの時代の熱量を感じることができる一冊です。

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ロサンゼルスMBA生活とその後 2019~
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