読書メモ親バカ仕事

才能の正体

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読書メモ
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「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」で有名な坪田信貴さんの「才能の正体」を読みました。

人は「才能」という言葉を都合よく使って逃げてしまいがち。でも、そもそも「才能」って何だろう?聖徳太子を「せいとくたこ」と読んださやかちゃんを1年半の指導で慶應義塾大学に合格させた坪田さんだからこそ説得力のある一冊です。

「自分には才能がない」は、努力をしない人の言い訳です。
すべての人に“才能の芽”はあります。その“芽”を、どうすれば見つけ、花開かせることができるか?
やるべきは、今ある状況の「認知」、目的へ向かうための「動機づけ」、そして「正しい努力」です。
自分自身も、子どもも変わります!
部下が変わり、組織がみるみるエネルギーに満ちてきます!
「ダメな人」の能力をみるみる開花させ、成功に導いてきた著者が教える。
どんな人でも“自分の才能で輝ける”ようになるための、驚異のメソッド。

Amazonより

前半は塾での個別指導の話がメインですが、後半は子供の育て方や職場での部下との接し方まで、より本質的、汎用的なテーマに広がります。

特に大切だなと感じたポイントを2点、メモ。

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ゴールは情景が思い浮かぶくらい具体的なイメージを持つ

p.184 面白いことに、人は、議論の対象に具体性がないときほど、批判的な意見を言いがちなのです。一方で、具体的なイメージを最初に提示すると、そこをゴールとして、そこまでの道筋を見つけ出そうと考え始めます。

組織のリーダーの重要な役割の1つにビジョンを示す、ということがあります。

そのとき、「世界に羽ばたく」とか「お客様満足度の業界No.1」といったどこの会社が掲げていても違和感がないような一般的な表現でとどめてしまうとお題目だけで終わってしまいがち。

チームのメンバーひとりひとりに届けるには、達成できた場合の姿がありありと思い浮かべられるくらい具体的な言葉やイメージで示すことが大切、と坪田さんは繰り返し述べています。

先日読んだ「メモの魔力」で前田裕二さんが「「想い」の言語化は、その絵が思い浮かぶくらい、想像し切らないといけません。頭でぼんやりと思うだけではなく、目で具体的に見た映像のように、ありありと思い浮かぶくらいまで持っていきたいものです」と書いていますが、全く同じ文脈です。

僕自身も、「UCLAにMBA留学する」という夢を20代後半に思い描いた時に、まず実行したのがこれでした。詳しくは以下のエントリーに書きました。

p.186 その後に大事なのは、それをアウトプットさせることです。(中略)なぜなら、人は言葉を発したとき、その言葉とともに感情が動き、それによって「大義=歩むべき大切で正しい道」となって心に残ることになるからです。

そして、他人事で終わらせないために大切なことは、メンバー自身にそのビジョンについて考えてもらい、自分の言葉で表現してもらうこと。ここのポイントは「感情が動く」という点です。

組織のビジョンやゴールは定量的な目標になりがちですが、ロジックよりもまずハートに働きかけること、感情を動かすことが大事。リーダーがクリアな絵を指し示して、仲間が自分なりに感じたことを言葉にしてもらう。このときに感情が動くと記憶にも残ります。

「バックキャスティング」という、自分の実現したいゴールについて未来の日付で新聞記事の形式で書いてみる手法がありますが、これも同様な効果があると思います。

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指導せず、客観的な事実のフィードバックに徹する

p.219 子どもが勉強する姿勢がとても悪く、机に前かがみになりすぎているとしたら、どう声をかけますか?
 多くの親御さんは「姿勢が悪い!目も悪くなるわよ!」みたいに言うでしょう。(中略)
 ところで、ちょっと冷静になって考えてみてください。子どもの姿勢が悪いとき、子どもにやってもらいたいのは「背筋を伸ばす」ということだけではないですか?(中略)
 このときに一番いいフィードバックのやり方は「背筋が曲がっているね」と言うだけ。プラスの意図もなく、マイナスの意図もなく、ただ事実のみを言うのです。(中略)
 そうすると不思議に、みんな勝手に背筋を伸ばすものです。
 ちょっと言ってみてください。この言い方をされてさらに前かがみになる人っていないもの。何かを直すときに「○○しろ」と命令する必要はないのです。

これは結構、目からウロコでした。

特に子どもに対して親は「自分のほうが世の中を分かっているのだから正しいことを教えてやる」という基本スタンスで接してしまいがち。僕も気をつけてはいますが、無意識のうちにそうなっていることに気づくことが多々あります。

でも、実際は子どもは親が思っているほど子どもではなく、その子なりに「本来ありたい姿」があり、駄目な時は自分が駄目だという自覚はあるもの。

そんな時に親から頭ごなしに「○○しなさい」と言われると子どもは「分かっているよ、うるさいな」と反発したくなるものです。ここで大切なのは、坪田さんが言うように「事実をそのまま中立的にフィードバックする」こと。

ちょうどここを読んでいたとき、試しに、「リビングで宿題をすると宣言していたのについ自分の部屋でダラダラしてしまっている娘」に声をかけてみることに。

事実のフィードバックに徹して、あくまで淡々と「1時間くらい部屋にいるね」と声をかけたところ、娘はあっけなく「今ちょうど片付いたところだから降りていこうと思っていた」と言ってすぐに降りてきて宿題に着手しました。

もし、ここでありがちなシチュエーション、「いつまで部屋でダラダラしてるの。宿題やるんじゃなかったの?早く降りてきなさい!」とか言っていたら、恐らく反発してすぐには降りてこなかったでしょう。

p.228 多くの人は「自分が正しい」と思って生きています。(中略)

そういうこともありますから、そもそも人に対して指導というものはできない、しない方がいいのです。指導するということをやめて、とにかくフィードバックすることに徹すること。そして、本人に自力で気づいてもらうようにするしかないのです。

「北風と太陽」の話にも通じますが、上から目線で力ずくで相手をコントロールしようとするのは無理が生じてかえって悪影響になるというケースは人間関係のベースに流れている真実だと思います。

仮に一時的に力でコントロールできたとしても、内心は穏やかでないのでそうした関係性はsustainableではないでしょう。いつか必ず綻びが出てきます。

人に言われてやっているうちは本質的ではありません。本人が気づいて、自分の意志で変えようと思わない限り、人は動かないし、変わりません。

相手との信頼関係が根底にあることが大前提ですが、まず相手を信じて、事実のフィードバックを通じて本人の成長を促す、というスタンスは今後も意識して実践していきたいと思います。

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