読書メモグローバル仕事

資本主義の終焉と歴史の危機

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先日の日経新聞によるFinancial Timesの買収が象徴的ですが、今や日本の大手企業は生き残りのためには市場として日本のみを考えていても少子高齢化が見込まれる中で成長戦略を描くことができず、日本以外の顧客基盤やブランド、ソリューション、要員を獲得することによって事業をグローバル化する決断が求められる時代。

僕もそんなグローバル戦略を描きつつ、4年間ほど国内外を飛び回って世界中の様々な人々と交流しながら、一方で「成長を善しとするグローバル競争」や「内外価格差ありきのビジネスモデル」といった大前提そのものが果たしていつまで続くのか、その先に待っているものは何か、といったことに想いを馳せて漠然とした不安を感じていました。

そんな折に水野和夫さんの「資本主義の終焉と歴史の危機」を読んで、その漠然とした不安がそもそも資本主義というシステム自身の限界に起因しているのではないか、という思いに至りました。

本書では、資本主義の歴史を振り返りながら、なぜ経済の中心がイタリアからオランダ、イギリスに変遷していったのかを説きつつ、現代のグローバル経済の状況と比較して考察します。

p.46 すでに20世紀前半に、かのシュミットが20世紀を「技術の時代」だと特徴づけ、その技術進歩教は魔術と同じだと指摘しています。たしかに20世紀に先進国は技術革新によって成長を遂げ、豊かになったのですが、2008年の9.15(リーマン・ショック)や2011年の3.11(東京電力福島第一原発事故)で、金融工学や原子力工学も結局は人類にとって制御できない技術だったことがわかりました。

確かに、20世紀、21世紀の経済を代表するグローバル経済問題、エネルギー問題は、金融工学や原子力工学で解決できつつあるように見えていましたが、現実世界で起きた事象を見る限り人間の知恵では制御不可能な領域に踏み込んでしまっていることが露呈されました。

いまグローバル経済で起きつつある事象を水野さんが幾つか取り上げて分析している中でも、特に資本主義システム自体の存立に関わるほど重要かつ根源的な動きとして僕が実感しているのが次の2点。

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経済のグローバル化と国境の希薄化

関税自由化の流れやITの進展等をベースとして、今や企業の経済活動において国境という枠はかつてほどの防波堤あるいは障害ではならなくなってきました。

企業が経済合理性を追求する結果、より労働コストの安価な新興国に工場が移転したり、ITの世界ではソフトウェア開発プロセスごと海外にアウトソースする動き(オフショア開発)が急速に進展中です。

p.78 資本側はグローバリゼーションを推進することによって、資本と労働の分配構造を破壊しました。グローバリゼーションを進めた資本側は、国境に捉われることなく生産拠点を選ぶことができるようになったのです。(中略)

景気回復も資本家のためのものとなり、民主主義であったはずの各国の政治も資本家のために法人税率を下げたり、雇用の流動化といって解雇しやすい環境を整えたりしているのです。

資本主義の初期段階では途上国から資源を安く輸入して先進国で加工して輸出するとか、途上国の安い労働力を活用して単純労働を担ってもらうといった、先進国→途上国という上下関係が見られていましたが、最近では途上国、新興国に任せられる仕事の質、量が向上してきた結果、先進国内で付加価値が高い仕事に就く人と海外や機械に仕事を奪われる人との二極化が進んできています。

p.42 資本主義は「周辺」の存在が不可欠なのですから、途上国が成長し、新興国に転じれば、新たな「周辺」をつくる必要があります。それが、アメリカで言えば、サブプライム層であり、日本でいえば、非正規社員であり、EUで言えば、ギリシャやキプロスなのです。21世紀の新興国の台頭とアメリカのサブプライム・ローン問題、ギリシャ危機、日本の非正規社員化問題はコインの裏と表なのです。

 こうした国境の内側で格差を広げることも厭わない「資本のための資本主義」は、民主主義も同時に破壊することになります。民主主義は価値観を同じくする中間層の存在があってはじめて機能するのであり、多くの人の所得が減少する中間層の没落は、民主主義の基盤を破壊することにほかならないのです。

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人口増加と有限資源のバランス不均衡

金融工学とITの発展により、あらゆるモノが金融商品としてグローバルな市場で瞬時に売買されるようになり、その対象は現物のみならず将来の価格を見込んだ先物取引にまで広がってきました。

また、金融市場では信用取引のような、手持ちの金融資産を元手にレバレッジを効かせてより大きな規模の売買もできる仕組みも浸透しています。

p.81 「電子・金融空間」でつくられた「過剰」なマネーが新興国の「地理的・物的空間」で過剰設備を生み出し、モノに対してデフレ圧力をかける一方で、供給力に限りがある資源価格を将来の需給逼迫を織り込んで先物市場で押し上げるのです。

p.74 中国、インド、ブラジルといった人口の多い国で、先進国に近い生活水準を欲して、それに近づけようとすれば、食糧価格や資源価格の高騰が起き、1960~70年代半ばの日本が一億総中流に向かったのと違って、高度成長する新興国と停滞する先進国の両方の国内で人々の階層の二極化を引き起こすことになります。

新興国では、食糧や資源にアクセスできる限られた大企業に利権が集中し、その他大勢の一般労働者は高騰する食料や資源に苦しむ二極化が進展しているように見えます。

p.134 「脱成長」や「ゼロ成長」というと、多くの人は後ろ向きの姿勢と捉えてしまいますが、そうではありません。いまや成長主義こそが「倒錯」しているのであって、結果として後ろを向くことになるのであり、それを食い止める前向きの指針が「脱成長」なのです。

水野さんは、日本は既に国内のインフラ整備がほぼ完成し、少子高齢化により経済規模が縮小する傾向の中、当然の帰結として投資機会が減少し、低金利とデフレ傾向が続いていると指摘します。

そして、世界史上、日本は世界に先駆けて資本主義の卒業段階に差し掛かっている国であり、今までの成長を善しとする考え方から脱却して新しい価値観を作り出す必要性があると説きます。

ではポスト資本主義の姿とは?

残念ながら本書ではその答えまでは触れられていませんが、幾つかの考えるヒントが提示されています。目先の課題解決に追われがちな日々ですが、折に触れてマクロな視点、長いスパンの視点から物事を考える必要性を気づかせてくれる良書です。

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