読書メモ

フェルマーの最終定理

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サイモン・シン「フェルマーの最終定理」を読みました。
数学者でさえ、その証明を完全に理解できるのは一握りというほどの難解な内容を扱っているにも関わらず、文系の僕でもその問いかけの美しさと証明に至るプロセスの奥深さを理解することができ、そして何より徹底したファクトベースで書かれた本なのに、ただただ面白くてドラマチック。
最後までぐいぐいと読ませてしまう構成と、誰でも理解できるようにわかりやすく噛み砕いた説明がなせる業でしょう。サイモン・シンがこの本を書いてくれなかったら、ほとんどの人はフェルマーの最終定理が意味することを知ることすらできなかったでしょう。

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完璧なロジックの積み上げのみが要求される数学

文系の世界からすると、理系の世界は数式で表現されて、ファクトとロジックの積み上げから構成される厳密な世界に見えます。
しかし、数学者、中でも数論を扱う人たちからすると、「手に入るかぎりの証拠にもとづいて、「この理論が正しい可能性はきわめて高い」と言えるだけ」であり、「精密科学はどれもみな近似に支配されて」おり、「広く受け入れられている科学的”証明”でさえ、つねに小さなあいまいさを含んでいる」のであり、万有引力を発見したニュートン、それに取って代わるアインシュタインの一般相対性理論でさえも現時点の科学で最も合理的な説明がつく仮説でしかない、とも言えます。
物質の構成要素を突き詰めていく過程で見つかった原子に始まり、電子、陽子、中性子、そしてクォークの発見、という冒険もまた同じ。

一方で、数学の定理の証明のような数論の世界では、完璧なロジックの積み上げのみが要求されます。そして、フェルマーの最終定理のような命題は単なる「もっともらしい仮説」に過ぎず、それを証明することが本当にできるかどうかすらわからない、途方もない課題です。
本書には、自分が生きている間に何がどこまで明らかにできるかも誰にもわからない中で、一生をかけて命題の証明に向き合ってきた数学者たちが数多く登場します。彼らの孤独な戦いを見ていると、ビジネスの世界に生きる僕には、数学者たちは勇気ある究極の冒険家に見えてきます。

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ひらめきの瞬間

数学者の仕事は、ひたすら考え抜くこと。「ずっと気になっていた問題の解決方法がどんなに机に向かって思考を巡らせても思いつけなかったのにちょっとした瞬間にふとひらめくことはきっと誰でも何度か体験していると思います。
「意図的に思考から遠ざかることで直感は研ぎ澄まされるもの」と以前、「マインドフルネス 気づきの瞑想」(Mindfulness in Plain English)を読んだ際にメモしましたが、ワイルズもまた、同じような体験を語っています。

p.363 「私はたいてい机に向かって何か書いていましたが、ときたま問題を非常に具体的にできることがありました。そんなときは、何かひっかかるものを感じるのです。そう、よくわからないけれど、紙の下に何かあるような気がするのです。具体的な何かで頭がいっぱいになっているなら、わざわざ紙に書くまでもないし、机に向かっている必要もありません。それで私はよく湖のほとりに散歩に出かけました。散歩をしていると、問題のどこか一部分にだけ意識を集中できるようなのです。紙と鉛筆はいつも持ち歩いていました。もしも何かアイディアが浮かんだら、ベンチに腰かけて書き留めるためです」

p.323 「大事なのは、どれだけ考え抜けるかです。考えをはっきりさせようと紙に書く人もいますが、それは必ずしも必要ではありません。とくに、袋小路に入り込んでしまったり、未解決の問題にぶつかったりしたときには、定石になったような考え方は何の役にも立たないのです。新しいアイディアにたどりつくためには、長時間とてつもない集中力で問題に向かわなければならない。その問題以外のことを考えてはいけない。ただそれだけを考えるのです。それから集中を解く。すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。そのとき潜在意識が働いて、新しい洞察が得られるのです」

ビジネスでは、考えることと行動することのバランスが大事。誰もが納得するようなファクトとロジックが揃うまで待っていたら、ビジネスの機会を失います。走りながら考える。とは言え、ただやみくもに手足を動かしても結果は出ません。時には、考えて考えて考え抜くことも必要。
本書を読みながら、最近、自分の頭で考えることから少し遠ざかっているのではないかと反省しました。もう一段、深く掘り下げて考えてみることで見えてくる世界があるはず。傍観者ではなく、相手の立場に立って考えること。自分ごとでとらえて考えること。

紀元前6世紀に生きたピタゴラスの定理から着想を得て、17世紀にフランスのフェルマーが提示した最終定理。それから3世紀に亘って世界中の天才的な頭脳が無数に挑戦して敗れてきた証明に挑み、遂に解明したイギリスのアンドリュー・ワイルズ。
実は、ワイルズによるフェルマーの最終定理の証明は、「谷山=志村予想」と呼ばれる仮説を証明することで導出されたのですが、そのベースとなる仮説を提示したのがこの二人の日本人数学者でした。

歴代の数学者たちが築き上げた数々の数論を1つずつ積み上げて繋ぎ合わせてワイルズが完成させた証明は、まさに“connecting the dots looking backwards”であり、そこに至るドラマが本書で鮮やかに描かれています。
図書館で借りた本書でしたが、さっそく1冊購入して宮本算数教室にも通っていた数学好きの息子にプレゼントしました。中2には難しいかもしれませんが、きっと彼なら最後まで読んで何かを感じてくれるのではないかと楽しみにしています。

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