読書メモグローバル仕事

僕は君たちに武器を配りたい

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読書メモ
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先日、47歳という若さでこの世を去った、瀧本哲史さんの「僕は君たちに武器を配りたい」を読みました。

特にこれから社会に出る学生に読んで欲しい内容ですが、資本主義社会で戦う社会人すべてにとって有益なメッセージが込められた一冊です。

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イノベーションと武器としての英語の重要性

p.263 イノベーションは科学や技術を専門とする理系の人間だけの仕事ではない。現在、そして未来の人々がどんなことに困ると予想されるか。どんなことが可能になったらより幸せになれるか。今まだ顕在化していないニーズを見つけて実現するのは、まさしく私がこれまで述べてきたマーケターやイノベーターやリーダー、そして投資家の仕事にほかならない。
 人類が生み出してきたこれまでの叡知をさまざまな角度で組み合わせ、資本を投入し、イノベーションを実現することで、人々の生活をより豊かに幸福にすることができる。投資家という仕事のもっとも重要な価値がここにあると私は考えている。

瀧本さんは「投資家」的な生き方を目指すべし、と本書で説いています。投資家と言われても、自分には先立つ資本がないから無理、と思いがちですが、彼が主張するのは単に人に使われるのではなく、自分の頭で考えて人とは違う新しい価値を生み出す人間を目指そう、ということ。

また、起業というと何かベースとなる技術が必要であり、文系の自分には無理、という声をよく聞きますが、起業=ゼロから新しいものを生み出すということでもありません。

いま自分のまわりにある課題に対して、自分のまわりにあるモノを改めて見つめ直した時に、既にあるモノをどう組み合わせるとどんな新しい価値が生まれるか?

既にあるモノの新しい組み合わせから新たな価値を生み出すことがイノベーションであり、このスタンスで目の前の課題に挑戦することで突破口を切り拓くことを大切にしたい。

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英語を勉強すべき人とその前にやるべきことがある人

p.265 面白かったのは、インテル出身のカタカナ英語をしゃべる日本人がメンバーの中でもっとも英語が下手だったのに、話すことの中身がきちんとあって、非常に論理的だったことから、常に議論をリードしていたことだ。
 日本人で「英語ができる」というと、ネイティブに近い流暢な発音で話せる人が思い浮かぶ。しかしビジネスの現場では、発音などは大した問題ではない。共通言語としての英語できちんと自分の意思や知識を伝えられることが重要なのだ。

 なぜならば、世界の英語話者の比率を考えれば、ネイティブよりもノンネイティブのほうが圧倒的に多いからだ。きれいな英語を話せることより、さまざまな国のひどい訛りが混ざった英語を聞き取れることのほうが、グローバルビジネスにおいてはずっと役立つのである。
 繰り返しとなるが、「売り物がある人」は必ず「武器」として英語を身につけるべきだ。まだ「売り」がない人は、英語の勉強をやる前に「自分の商品価値」を作ることが何より大切なのである。

このエントリーはスペインから帰国する飛行機の中で書いています。

新しいプロジェクトのキックオフのため、スペインの同僚と一週間に亘って一緒に様々な課題について議論してきました。

みな英語は母国語ではないため、打ち合わせではカタカナ英語やスペイン訛りの英語、中にはフランス訛りやイタリア訛りまで様々な英語が飛び交います。

僕は自分の考えをきちんと表現し切るだけの英語力がまだ不足しているため、悶々としながらも必死でコミュニケーションを取ることで一歩ずつ前進するほかありません。

それでも、銀行システムの構造を理解し、日本のマーケットを知り、自社の意思決定プロセスを踏まえて責任ある立場で発言できるのは僕しかいません。

となると、英語力の良し悪しは問題ではなく、その発言内容に意味があれば下手な英語でも相手が身を乗り出して注意深く聞いてくれます。

あるいは、同行した業界のスペシャリストはほとんど英語は話せませんが、彼の比類ない業務ノウハウとスキル、そして経験に裏打ちされたコメントは非常に価値が高いため、彼が日本語で話すと同席している他国の同僚は一言も漏らすまいと通訳の言葉に耳を澄ませます。

つまり、英語は話せれば自分のマーケットが広がる非常に有効なツールですが、その大前提として自分にしかないコンテンツを磨くことがまず必要ということ。

よく入社してまだ日の浅い若手社員から「グローバルで活躍する人材になりたいので英語を頑張って勉強している」という話を聞きますが、この点を正しく理解して正しい努力をしないと単なる「英語が話せる便利屋」で終わってしまうリスクが大です。

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奴隷の勉強、自由人の勉強

p.283 リベラル・アーツが人間を自由にするための学問であるならば、その逆に、本書で述べた「英語・IT・会計知識」の勉強というのは、あくまで「人に使われるための知識」であり、きつい言葉でいえば、「奴隷の学問」なのである。

p.284 社会に出てから本当に意味を持つのは、インターネットにも紙の本にも書いていない、自らが動いて夢中になりながら手に入れた知識だけだ。自分の力でやったことだけが、本物の自分の武器になるのである。

資本主義社会を生きていくための武器とは、勉強して手に入れられるものではなく、現実の社会での難しい課題を解決したり、ライバルといった「敵」を倒していくことで、初めて手に入るものなのだ。そういう意味で、ギリシャ神話などの神話や優れた文学が教えることは、人生の教訓を得る上でも非常に有効だと私は考えている。

英語やIT、あるいはMBAで学ぶことができる経営知識はビジネスをする上で確かに有効なツールですが、それ以前に自分の頭で考える力がより重要であるという優先順位は揺るぎません。

その意味で、人間が長い歴史の中で得た教訓を綴った世界の神話や古典には、我々が生きる上で必要な普遍的なメッセージが込められているはずです。

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人生は短い。戦う時は「いま」だ

p.287 自分自身の人生は、自分以外の誰にも生きることはできない。たとえ自分でリスクを取って失敗したとしても、他人の言いなりになって知らぬ間にリスクを背負わされて生きるよりは、100倍マシな人生だと私は考える。

p.288 人生は短い。愚痴をこぼして社長や上司の悪口を言うヒマがあるのなら、ほかにもっと生産性の高いことがあるはずだ。もし、それがないのであれば、そういう自分の人生を見直すために自分の時間を使うべきだ。
 若い人が何か新しいことにチャレンジしようとするときに、「それは社会では通用しないよ」としたり顔で説教する「大人」は少なくない。
 しかしその言葉は、既得権益を壊されたくない「大人」が自分の立場を守るために発しているかもしれないのだ。自分の信じる道が「正しい」と確信できるのであれば、「出る杭」になることを厭うべきではない。本書で述べてきたように、人生ではリスクをとらないことこそが、大きなリスクとなるのである。

企業に所属するサラリーマンとして、上司に言われたことをただこなすような仕事をしていたらつまらないし成長もない。

若手に説教するような「大人」にだけはならぬよう、そのためには自分自身が自分の頭で考えて行動するほかない。

本書を読んで、改めて新しいことへの挑戦を忘れないこと、putting yourself out of comfort zone精神を心に誓い、来週から始まる怒濤の日々を想いながら静かにスマホを閉じます。

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