「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」(橘玲)を読みました。本書を読まなければ何のことやらさっぱりですが、結論は「伽藍(がらん)を捨ててバザールに向かえ!」と「恐竜の尻尾のなかに頭を探せ!」の2点です。
前者の結論は「これからの時代は企業は自分を守ってくれない前提で生きろ」ということで、これも全く同感です。そのうえで「好きなことをやって社外で評判を獲得する」ことが重要との主張も的を射ていると思います。
一方、後者の結論はよりわかりやすく言えば「自分ならではのユニークな立ち位置を見つけろ」ということで、それ自体は大いに賛成ですが、手段として挙げられている「ネットを活用したロングテール」という方法は本書が論拠を置いている「自己啓発しても無駄」という主張と矛盾しているように感じました。確かにネットの普及に伴なってロングテールでも商売ができる可能性は大きく広がってきていますが、そこで生き抜くようになるにはITに関する相当な自己啓発が必要です。
こうした著者の結論には共感できるポイントが幾つかありましたが、僕は結論よりもそこに至る過程で紹介されている様々な学術分野での研究内容に興味を惹かれました。中でも以下の3つ。
人的資本論(経済学者:ゲーリー・ベッカー)
p.60 ベッカーはまず、ひとは誰でも働いておカネを稼ぐ能力を持っていると考える。これが「人的資本」で、ぼくたちはみんな人的資本を労働市場に投資して利潤(報酬)を得ている。(中略)
労働市場が効率的ならリスクとリターンは釣り合っているはずだから、ハイリスクのベンチャー起業家は成功すれば大金持ちになり、ローリスクの地方公務員は安定しているけどかつかつの生活しかできない。これはどちらが正しいという話ではなくて、それぞれの生き方(価値観)の問題だ。
人的資本から得られる利益は、投資と同様に、元本とリスクと大きさで決まる。人的資本(元本)をたくさん持っているひとは、小さなリスクでも十分な利益をあげることができる。逆に人的資本が小さければ、大金を稼ぐには大きなリスクを取るしかない。p.62 人的資本を知るもっとも簡単な方法は、いまの収入から逆算することだ。サラリーマンなら、退職金を含むおおよその生涯年収を試算できる。それを現在価値に割り引けば人的資本の額が導き出せるはずだ。
ファイナンスを学んだことがある人にとっては、なるほど非常にわかりやすい説明ですし、僕の感覚にも近い考え方。論点は2つ。
まず、「労働市場が効率的なら」という前提条件が日本ではまだ成り立っていない点。ただし、経済のボーダーレス化が進展しているトレンドには逆らえないとなると、これは時間の問題だと思います。僕が就職活動をしていた約20年前と比べると明らかに転職や中途採用のケースは増加しており、受け入れ側の需要やキャリアチェンジを支援する仕組みも随分と整備されてきています。
もう1つの論点は、今の日本における「リスク」とは何か?という点。本書の結論の1つでもありますが、僕は「会社に頼って生きること」が大きなリスクだと思います。数年前の学生の就職ランキング上位に出てきていた日本を代表するような大企業でさえ、急激な環境変化に耐えられずに一気に業績が悪化し倒産するリスクすら顕在化する時代です。
自分の人生を自分で舵取りするためには、自分の貴重な資産である時間を投資して給料というリターンを得る場として会社を捉えるだけではなく、自分の人的資本そのものを大きくするための経験や知識、スキルを身につける成長の場として会社を位置付けることが重要です。
そのためには、漫然と与えられた仕事をこなすだけでは不十分で、自分ならではの良さを知り、それがより活きる職場を自分で探し出すという意識が必要です。
もし今やっている仕事が「やりたくもないし適性もない仕事」だった場合、それをやり続けることで自分のモチベーションや市場価値が下がり、いざ社内で異動もしくは転職しようにも受け手が見つからず、ますます自分がたまたま配属された場所に縛られてしまうという負のスパイラルにはまってしまうことが僕はサラリーマンの最大のリスクだと思っています。
例えば僕の勤務している会社では年に2回、社内で100を超える様々なポストの公募があり、社員は上長に知られることなく応募することができて、もし合格すると人事部の権限で強制的に新しい部署に異動できる仕組みがあります。
大企業の場合、社風よりも事業部、あるいは担当レベルでやっている仕事の内容からやり方まで随分と異なる場合が多いので、転職する覚悟があるのなら、まずは社内でキャリアチェンジするという選択肢は合理的だと思います。
囚人のジレンマにおける最適解(社会心理学者:ロバート・アクセルロッド)
p.123 社会心理学者のロバート・アクセルロッドは、囚人のジレンマはゲームを繰り返すことで解決できるのではないかと考えた。(中略)対戦は一試合200回、5試合ずつの総当たり戦で、ぜんぶで12万回の対戦があり、協力か裏切りかで24万回の選択が行われた。
ゲームの参加者は、さまざまな戦略でゲームに臨んだ。相手に裏切られても協力するお人好し戦略、逆に、相手が協力しても裏切る悪の戦略、裏切った相手には徹底して懲罰を加える道徳的戦略、(中略)さらには過去のデータから統計的に相手の意図を推察し、最適な選択を計算する科学的戦略……。だがこの競技を制したのは、全プログラムのなかでもっとも短い「しっぺ返し戦略」と名づけられた単純な規則だった。(中略)
①最初は協力する。
②それ以降は、相手が前の回に取った行動を選択する。
これはすっと腹に落ちました。「まず信じてみる」から始めることがポイント。もちろん時には期待を裏切られることもありますが、まず自分からはじめの一歩を相手に踏み出す勇気が相手にぐっと近づくためにとても重要だと僕は思っています。
金銭的な報酬とモチベーション(心理学者:エドワード・L・デシ)
p.220 アメリカの心理学者エドワード・L・デシは、簡単な実験によって、金銭的な報酬でやる気がなくなるという奇妙な心理を証明した。(中略)
パズルを解くのは、それが面白いからだ。ところが金銭的報酬を支払われると、パズルを解くことが仕事になってしまう。その結果、ゲームのルールが変わって、本来の「面白さ」がどこかに消えてしまうのだ。p.213 リーナスがOSを開発し、ソースコードを公開した理由は、たったひとつ。
それがぼくには楽しかったから
これはデイビッド・ダイヤモンドとの共著の題名で、その冒頭で「リーナスの法則」というのが提唱されている。(中略)
リナックスのプロジェクトは、最低限の衣食住を確保したハッカーたちが、インターネットを介して共同作業を行う環境を手に入れたことで、はじめて成立した。リーナスは、お金や仕事は関係なく、好きなことを純粋に楽しむことこそが人生の意味だという。ハッカーこそが、人類の進化の最終段階にはじめて到達した「選ばれしひとびと」なのだ。p.251 金銭的に成功したからといって幸福になれるとは限らない。ヒトの遺伝子は、金銭の多寡によって幸福感が決まるようにプログラムされているわけではないからだ。ひとが幸福を感じるのは、愛情空間や友情空間でみんなから認知されたときだけだ。(中略)
自由で効率的な情報社会の到来は、すべてのひとに自分の得意な分野で評判を獲得する可能性を開いた。だったら幸福への近道は、金銭的な報酬の多寡は気にせず(もちろん多いほうがいいけれど)、好きなことをやってみんなから評価してもらうことだ。
経済的な報酬とモチベーションとの関係性については「モチベーション3.0」に詳しいのでぜひそちらをご覧頂くとして、「金銭的な報酬がないからこそ純粋に楽しめる」→「純粋に楽しいから人は集まる」→「まわりの仲間からの信頼や評価が幸せにつながる」という流れはまさに僕が7年前から携わっている社内SNSの活動そのもの。
よく「本業が忙しいのによく課外活動までやれますね」とか「ボランティアでモチベーションが続きますか?」といったことを言われますが、一言でいえば「ただ楽しいからやっている」のです。その結果、仕事だけでは得られなかった社内外の色々な人々との出会いが大きく広がり、僕の人生をぐっと豊かにしてくれているのは間違いない事実です。
前述の人的資本論でいう「元本」は評判資本とも言い換えられると思います。従来はこうした定性的な指標はなかなか目に見えづらい価値でしたが、最近はソーシャルメディアの普及に伴って個々人の評判はネット上で蓄積・流通しやすくなってきています。
その結果、こうした個人の評判資本は会社の枠や国境をも越えて簡単にかつリアルタイムでシェアされ、めぐりめぐって金銭的な報酬にまで反映される流れができつつあるように感じています。
p.227 世間から隔離された伽藍(会社)のなかで行なわれる日本式ゲームでは、せっかくの評判も外の世界には広がっていかない。それに対してバザール(グローバル市場)を舞台としたハッカーたちのゲームでは、評判は国境を越えて流通する通貨のようなものだ。
高度化した知識社会の「スペシャリスト(専門家)」や「クリエイティブクラス」は、市場で高い評価を獲得することによって報酬を得るというゲームをしている。彼らがそれに夢中になるのは、金にとりつかれているからではなく、それが「楽しい」からだ。(中略)
幸福の新しい可能性を見つけたいのなら、どこまでも広がるバザールへと向かおう。うしろを振り返っても、そこには崩れかけた伽藍しかないのだから。
会社という枠に必要以上に縛られず、頼らず、自分の人生のハンドルを自分で握れるよう意識を外に向けていきましょう。