「土偶を読む」の反響【オンライン番組・ウェブメディア編】

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2021/4に晶文社から発売されて話題となった「土偶を読む」の反響のうち、主要なオンライン番組・ウェブメディアに関するものを紹介します。

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  1. 松岡正剛の千夜千冊
  2. 月刊ALL REVIEWS 竹倉 史人 × 鹿島 茂、竹倉 史人『土偶を読む』を読む
    1. 輪廻転生と土偶を読む
    2. 寛容性の原則と次回作への期待
    3. 独立研究者と大学教員
  3. 日刊ゲンダイDIGITAL 著者インタビュー「土偶を読む」竹倉史人氏
  4. 朝日新聞 GLOBE+ 土偶は〈植物〉の精霊?新著が話題の竹倉史人、いとうせいこう、中島岳志の3氏が議論
    1. 国立歴史民俗博物館の学術論文として公開する案に山田康弘教授が賛同
    2. 土偶には顔はなく仮面を被っている
    3. 植物は歩く?知性もある?土偶が突きつけた科学の貧しさと現代人の鈍感さ
    4. 「土偶を読む」の裏テーマは専門知への疑問 「素人」と揶揄する風潮に危機感
  5. WEDGE Infinity『土偶を読む、130年解かれなかった縄文神話の謎』著者に聞く
  6. 日刊サイゾー「土偶は植物のフィギュアだった」独立研究者が発表した新説のルーツと反発を招いた本当の理由
  7. 代官山 蔦屋書店「竹倉史人×中島岳志トークイベント『土偶を読む』をどう読むか」
  8. ゲンロンカフェ「竹倉史人 × 武富健治『土偶、植物、神話』」
  9. じんぶん堂 話題の本『土偶を読む』の編集者「そこにしかないものの痕跡を残したい」
  10. 情報工場 「読学」のススメ#93「土偶界のイノベーター」登場!画期的「土偶」論に見るイノベーション的思考とは?
  11. 書評 養老孟司さん(東京大学名誉教授)
  12. HONZ 首藤淳哉さん(HONZレビュアー)

松岡正剛の千夜千冊

角川武蔵野ミュージアム館長の松岡正剛さんが「千夜千冊」にて本書を紹介。

この夏に目を通して印象に残ったものを何冊か紹介しておく。30~40冊ほどのなかで、つまらないものが7割、イマイチが2割、「努力の結晶」を感じる本が5分、唸った本が5分。これはいつもの配分だ。あとは毎月十数~数十冊の献本がある。ぼくの好みを見計らってのようで、おもしろい本が送られてくることが多い。

まずその献本から。竹倉史人の『土偶を読む』(晶文社)は土偶を植物像から読み解いて、ハッとさせられる。

千屋千冊

この夏に松岡さんが読んだ本を40冊として、唸った本は5%足らず、つまり2冊くらい。本書は読んで「ハッとさせられ」たそうなので、この2冊の1つに該当したのでしょう。

いつか松岡さんと著者との対談を聴いてみたいなぁ。

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月刊ALL REVIEWS 竹倉 史人 × 鹿島 茂、竹倉 史人『土偶を読む』を読む

2022/7/28(水)の20:00からフランス文学者・評論家で2020年まで明治大学国際日本学部教授を務めていらっしゃった鹿島茂さんと著者との対談がALL REVIEWS主催でオンライン生配信されました。

書評アーカイブサイト・ALL REVIEWSのファンクラブ「ALL REVIEWS 友の会」の特典対談番組「月刊ALL REVIEWS」、第31回はゲストに人類学者の竹倉 史人さんをお迎えし、竹倉 史人さん『土偶を読む』(晶文社)を読み解きます。 メインパーソナリティーは鹿島茂さん。

ALL REVIEWS

輪廻転生と土偶を読む

冒頭、鹿島さんから本書について前作の「輪廻転生」と併せて紹介と総評がありました。

  • 鹿島 土偶の正体についてはっきりしたことは分かっていなかった。竹倉さんはこれを縄文人が食べていた食べ物をかたどっているのではないかという仮説を立てて、考古学的、人類学的、統計学的な方法を駆使して証明しようと試み、ほぼ証明終わりというところにまで行き着いている。
    • 土偶や邪馬台国等は素人も参入可能な領域でいろいろな説がある。
    • 一方で、玄人の歴史家や人類学者、特に考古学者はこういう新説が出るとくだらない素人の思い込みとして一蹴することが多い。
    • 私は論文の書き方の本を出したりしているので、こういうものの読み方にはある程度、慣れている。この本については実証方法等についても非常に良くなされているように感じた。
    • 前作の「輪廻転生」を読んだが、多角的に研究された非常に優れた本であり類書はないと思う。類書がある中で、まるで行司のようにこっちは良くない、こっちも良くないという風にやるのが学問だと思いこんでいる人が非常に多いが、本来であれば類書がないという分野にチャレンジするのが学者の本分である。
    • 「土偶を読む」が非常に優れていたが、学者たる者は「全てを疑え」という第一原則があるため、この著者は他にどんな本を書いているのかということで「輪廻転生」を読んだ。結果として、「輪廻転生」はなかなか素晴らしかったことから、「土偶を読む」も決していい加減な本ではないと評価した。

続いて、「輪廻転生」で書かれていたテーマと「土偶を読む」の関連性について鹿島さんが指摘し、先日の週刊文春で鹿島さんが書いた書評について対談が始まりました。

  • 鹿島 竹倉さんは輪廻における再生というものは現代の科学がそうなっているように、原始の人々も同じように人間が力を加えて自然を支配しようとするように考えていたという説を「輪廻転生」で書いている。それを探っていくと土偶に辿り着いたのではないか。
  • 竹倉 おっしゃる通りで、先生が先日書かれた週刊文春の書評を読んでひっくり返るほどビックリした。
    •  本作では土偶のモチーフに限定して書いたが、次回作では土偶の意味、そもそも土偶とは何なのかという、もう一歩踏み込んだものを書いていこうと思っている。
    • その中で一番コアな部分にあるのが「セックスと出産・妊娠というものが恐らく人類史においてかなり長い時期に亘って結び付けられていなかった」という仮説であり、私の説と深く関わっている。それをそのまま鹿島先生が(吉本隆明の共同幻想論からの仮説として)書かれていたので非常に驚いた。
    • 私が注目していたのはニブヒ族(ギリヤーク)で、彼らは世界には精霊のようなものがいてそれがおへそだったり頭の中だったり女性の体内に精霊が侵入することによって妊娠という現象が起きると考えていた。
    • こうした考え方は、恐らくシベリア周辺の北方系の人々、シャーマニズムを活用していたような人々において極めて普遍的に見られる思想であった。
    • この「精霊が体内に入ることで妊娠するように、植物が成長して実がなるのは精霊が樹木の中に入っていくことで樹木が妊娠する」という考え方、「人間の妊娠と植物の妊娠、実がなるということは同じように考えられていた」という仮説は土偶を理解する上で非常に重要だと思っている。

この後、本書で明かされる数々の仮説と検証について、鹿島さんが画面で該当ページを指差して見せながら、その妥当性について熱く語っていきます。

寛容性の原則と次回作への期待

後半では鹿島さんから次回作に対する期待が語られ、著者からはそのテーマのベースとなる考え方が示されました。

  • 鹿島 学問というのは「寛容性の原則」というものがあり、視角を限って見るのが学問という考え方がある。これは正しいのだが、これだけでやっていると漏らしてしまう部分が必ず出てくる。
    • 学者は論文を書くのには視野を狭くするのが最適なのでどんどん狭くなる傾向がある。
    • あまりに狭くなった「寛容性の原則」に対する研究として、次回作では竹倉さんの専門分野に戻って土偶は何のために造られたのかという文化人類学的な研究に期待している。
  • 竹倉 私は、縄文人は生命の発生を植物から学んでいたのではないかと考えている。動物の発生のプロセスは子宮内で起こるため目に見えないが、植物の発生プロセスは種から発芽・発根して実がなって一年草であればそれで死ぬというように可視化されている。
    • 古代人は、生命とはまず種子のようなものがあり、そこから何か伸長していきボディができて老いて死ぬというプロセスが繰り返されるということを植物のアナロジーで理解していたと考えている。
    • 人間の出産も同じように、まず女性の体内に種子のようなものがあり、そこに精霊が入り込んで発生するというように考えていたのではと見られる図柄が示された土偶が新潟県から出土している。
      • これは私の見立てではトチノミの精霊像と考えられる土偶だが、恐らく縄文中期に入ってトチノミの栽培を始めたのではないか。その土偶のお腹にはトチノミが発芽・発根しているような図柄が描かれている。
      • 種を植えっぱなしということはありえないので順調に生育するために何らかの呪術を行う。
      • 土偶の原義とは、こうした植物栽培に伴う呪術に用いられていたのではないか、というのが次回作のベースである。

ここで著者が語った、土偶のデザインに見える文様について人間と植物のアナロジーで読み解く仮説については、既に2019/11に開催された東京工業大学での講義でも紹介されていました。

まだ科学がない縄文時代に、人間が植物を認識し理解するときには、人体のアナロジーで類推するアプローチが最も自然な思考法であったと思われます。

例えば、様々な土偶のへそ周りに多く見られる上向きの線。一般的には、女性の妊娠線と考えられていますが、アイヌや世界中の神話に見られる植物起源神話的な発想、すなわち「人間とはへその緒を切断することで動けるようになった植物」と縄文人が考えていたとすると、へそは種子、上向きの線は発根のアナロジーとも考えられます。

例えば、縄文人の主食の1つだったトチノミは実際に種子から発根するのはごく僅かであり、貴重な食物の豊穣を願うための発根儀礼において土偶が使われていたのではないかという仮説が生まれます。

2019/11/24 東京工業大学での講義より

独立研究者と大学教員

最後の30分は視聴者からの質疑応答でした。主な質問は以下のとおり。

  • 土偶は故意に壊されて、集落の離れたところからかけらが見つかっているということを聞いたことがあるが、どう考えるか?
  • 在野で活動されているがどのような形で資金調達しているのか?
  • 北海道・東北の世界遺産指定により縄文の研究は進むと考えられるか?
  • コロナ現代の人が、この本から学ぶ知恵はあるか?
  • 植物や貝以外にも魚や昆虫をモチーフにした土偶もあると思うか?
  • 「縄文の女神」と呼ばれている、ガンダムのような造形の土偶については本で触れられていなかったが、どう考えるか?

この質疑応答パートも非常に面白かったのですが、鹿島さんが途中で割って入って語った以下のくだりが実感こもっていて印象的でした。

  • 鹿島 独立研究者と名乗ることについて。僕もいまさら悔いても仕方ないが本当は42年も大学で教えるのではなく、なれるなら独立研究者になればよかったと思っている。
    • 大学の専任教員になるということは、公務と呼ばれる雑用、試験監督官、その他学校の事務関係を全部引き受けるというのが給与のうちの半分から1/3を占めている。
    • いったんそれに慣れてしまうと、かつては小説家だったり、評論家だったりという活動ができなくなってしまう。学校のアカデミズムという名前の事務屋。
    • 1時間半、教室を回って「あと5分です」というようなことで給与をもらっているんだなあと。できるなら、こんなものはやらない方がいい。
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日刊ゲンダイDIGITAL 著者インタビュー「土偶を読む」竹倉史人氏

日刊ゲンダイDIGITALの著者インタビューに登場。

「新説の発表後、世論からはすでに圧倒的な支持を得ています。でも皮肉なことに考古学からの反応は微妙(笑い)。土偶研究が始まった明治時代には『この土偶の見た目は○○に似ている』というアプローチが中心でしたが、大正・昭和と時代が進んで人類学が専門分化して考古学が生まれると、そうした見方は稚拙だという“信仰”が生まれます。考古学者の多くはいまだにこれを信じているんですね。私が行った見た目の類似を重視するイコノロジー(図像解釈学)の方法論はじつに明治以降ほとんど忘却されていたものです。私の新説は考古学の“信仰”を打破するものになるでしょう」

日刊ゲンダイ DIGITAL

土偶とは何か?という問いに対して、まず考えられるのはそのモチーフに思いを馳せることでしょう。

実は土偶研究が始まった明治時代では見た目の類似性から研究がなされ、今でも名が残っている「遮光器土偶」(シベリアに住む人々が雪の反射光を抑えるために使用していた遮光器と土偶の目が似ていることから命名された)に代表されるように当初はイコノロジー的な研究アプローチが主流だったそうです。

今回の新説が導火線となって、土偶のみならず考古学界に新風が吹き込み、学際的な研究が進むことにより一層の新しい成果が生まれてくることを期待しています。

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朝日新聞 GLOBE+ 土偶は〈植物〉の精霊?新著が話題の竹倉史人、いとうせいこう、中島岳志の3氏が議論

朝日新聞のGLOBE+に、いとうせいこうさん、中島岳志さんと著者の鼎談が掲載されました。

国立歴史民俗博物館の学術論文として公開する案に山田康弘教授が賛同

冒頭でいきなりビックリ!

――竹倉さんの著書「土偶を読む」が4月末の発売後、わずか3ヶ月で約2万部とヒットしています。考古学で蓄積された実証データを元に人類学的手法でアプローチするという専門の枠にとらわれない本書について、多くの考古学研究者が沈黙を守っていると聞きます。ネット上では賛否が割れているようですね。

竹倉 絶賛してくださる方が圧倒的に多数ですが、その一方で「こんなのゴミだ」と言わんばかりの方もいて(笑)。いろいろな意見が出ている状況をとても興味深く眺めています。

じつは当初、この研究は考古学の学術論文として発表するという可能性もあったんです。いとうさんも出演なさった映画「縄文にハマる人々」に出ていらした国立歴史民俗博物館教授の山田康弘先生のもとにお伺いしたら、丁寧に見ていただき、同博物館の論文として世に出す案に賛同してくださって。

GLOBE+

本書のあとがきで書かれているエピソードの1つで、著者が「自らの研究成果を発表しようとすると、関係各所から「考古学の専門家のお墨付きをもらってきてください」とストップがかかるようになった」ため、「縄文研究者たちにアポを取り、彼らに自分の研究成果を見てもらうことにした」ところ、「誠実な対応をしてくれたのはごくわずかで、彼らの大半は私の研究成果にはコメントしようとはせず、そればかりか「われわれ考古学の専門家を差し置いて、勝手に土偶について云々されたら困る」というギャグのような反応を返してきたのである。挙げ句の果てには、私の研究成果が世に出ないように画策する者まで現れる始末だった」というくだりがありました。

そんな中で数少ない誠実な対応をしてくれた1人が山田康弘さんだったとのこと。調べてみると、山田さんは現在は東京都立大学教授で歴史学・考古学分野を担当されており、特に縄文時代の専門家です。

2015年には、かの国立歴史民俗博物館の教授となり、2019年には『縄文時代の歴史』で第7回古代歴史文化賞優秀賞を受賞したという、まさに縄文時代のエキスパート。

受賞作の「縄文時代の歴史」は、何とAmazonで合計76件もの評価中で平均★4つという、専門書としてはダントツの高評価を得ています。

そんな山田さんが本書の説を認め、国立歴史民俗博物館の論文として発表することを応援してくれたということで、もし本説が商業出版ではなく、山田さんの指導の元で論文として整えて発表される流れになっていたら…

本説が世に出るのはもう少し時間はかかっていたことでしょうが、考古学界からは現在のような「沈黙」ではなく、より真摯な追加検証がなされていたことでしょう。

そうしたシナリオも見てみたかった気もしますが、「土偶を読む」という書籍として出版され、多くの一般読者に手に取ってもらえたことで、結果的にはより大きなインパクトを社会に与えることができたのであれば、これはこれで意義があったと言えるのかもしれません。

土偶には顔はなく仮面を被っている

いとう 今日どうしても竹倉さんと話しておきたいのは、土偶と植物についてのほかに、仮面の問題があります。

この本は、注のところにヤバいテーマがたくさん書いてあるんですが(笑)、その一つに「そもそも土偶には『顔』はないのである。(中略)原則として土偶の顔面はすべて仮面であると考えてよい。精霊は常に仮装してこの世界を来訪するからである…」と書いてあるんです。

僕は、大学1年のときに池袋にあった西武美術館で「変幻する神々 熱きアジアの仮面」展を見て衝撃を受けて以来、仮面が大好きで集めてもいたくらい関心があるので、ぜひこの記述について聞きたいと思っていました。

竹倉 土偶にはわざわざ仮面のひもまで表現されているものも結構ありますし、合掌土偶などは明らかに顔面だけが二次元で作られている。つまり、土偶を全体として見ると、仮面をつけていると解釈すべきものが多く見られます。

GLOBE+

本書では、土偶の顔面の造形が平面的であるケースが多い点について明快に「精霊は常に仮装してこの世界を来訪するから」「原則として土偶の顔面はすべて仮面であると考えてよい」との見解が示されています。

幾つかの講演では、後頭部が膨れているように造形されている土偶を側面から眺めるとあたかもヒトが平板な仮面を被っているように見える例を幾つか示して解説されていました。

仮面の話から始まり、3人の関心はモースの贈与論から春日大社摂社若宮神社で平安末期から続く「おん祭」という例祭の話、和辻哲郎のペルソナの議論など、知的な振れ幅を持って縦横無尽に展開していきます。

植物は歩く?知性もある?土偶が突きつけた科学の貧しさと現代人の鈍感さ

いとう 人間も土偶も精霊も連続した存在だったのではないか、という先ほどの中島君の指摘はすごく重要だと思うんです。

僕らは土偶を見るときに、人間に模したんじゃないかとか、精霊に模したんじゃないかとか考えてしまうけど、模す、模さない、じゃなくて、一体のものだったという可能性を考えていくわけですよね。

そうすると、我々が仮面をつけて何かに憑依されたことと、土偶に仮面をつけさせて何かが憑依したであろうと感じる感覚が、まったく同じだった可能性がある、ということになる。

竹倉 我々人間が生きているっていうことと植物が生きているっていうことは同じ原理だ、という感覚ですよね。僕が土偶から読み解きたいのは、今回の本は植物のモチーフについて書きましたが、そこからもし展開があるとすれば、縄文人の生命に対する感覚なんです。

中島 そうそう。

いとう そこ、そこ。

GLOBE+

話は土偶のモチーフから次第になぜ土偶が造られたのか、どうやって使われていたか、といった謎へと続きます。

「土偶を読む」の裏テーマは専門知への疑問 「素人」と揶揄する風潮に危機感

モチーフの同定は客観的な見た目の類似性等からある程度までは評価できますが、こうした問いに対しては縄文人が世界をどう認知していたのか、何を大切に思い、どんな暮らし方をしていたのかといった、より抽象度の高いと問いへの仮説が必要になります。

こうなると、もはや考古学者の視座だけでは限界があるでしょう。クロスジャンルで専門知を持ち寄り、交換・議論することを通じて新たな視点に気づき、仮説が発展していくというサイクルが求められます。

中島 僕の師匠の西部邁が「世の中のエコノミストがことごとく間違えるのは、経済を知らないからじゃない、経済しか知らないからだ」とよく言っていて、複合的にいろんなことを考えなければいけない、と教えられました。竹倉さんの本を読んでいて、そのことを思いました。

古代について考えるには考古学だけで迫ることはできません。哲学、思想、人類学、いろいろな英知を集結しながら古代と向きあうことによって、私たちの未来も広がっていくと思うのです。そのような古代との向きあい方が、今、縄文を考える際に重要なことだと思います。岡本太郎もそういう人でした。

いとう 岡本太郎も仮面というものにものすごく惹(ひ)かれた人ですね。「太陽の塔」のあの仮面性のようなものを見ても、縄文人の感覚を完全にわかっていたとしか思えない。

竹倉 「土偶を読む」をこのようなかたちで世に問うことになった背景には、実は、3.11の原発の問題をきっかけに生まれた専門知に対する不信感があります。

市民がいくら原発の危険性を指摘しても、専門家たちはそれを「素人の意見」としてまともに取り合おうとはしなかった。しかし、絶対安全と言われていた原発はあっけないくらい簡単にメルトダウンにいたった。

専門知も専門家も間違いなく必要です。でも、専門知がわれわれの生活を向上させる実践知に還元されず、既得権益として密室の中で独占されている。このような専門知のあり方が色んな分野で残っている。

専門知がいかに実践知のほうに開かれていくか。リベラルアーツ教育のような形で専門知が一般の人に開かれ、ネットワーキングされ、実践知になり、市民に還元されていく。そういう動きが今後加速するといいなという思いがあります。

僕の研究内容や「土偶を読む」について、すでに色んなジャンルの人が意見を表明しています。この本がそういう議論の着火剤になり、専門家だけでなくいろんな人の意見が交わされ、そこからどの土偶論が最も合理的なのか、広く討議されていくことを願っています。

GLOBE+

鼎談の冒頭で著者が「最終的に商業出版の形を選んだのにはいろいろな事情がありますが、結論から言えば「専門知」について世に問いたいという気持ちが前に出た感じですね」と語っていたとおり、土偶の謎解きと同じくらい重要な本書の裏テーマが明らかに。

サイロ化された専門知にブリッジを架けて新たな洞察を得る。そして学者のための学問ではなく、我々の日々の暮らしに何らかの形で関わり、生活の質の向上に寄与することも学問の重要な役割だと思います。

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WEDGE Infinity『土偶を読む、130年解かれなかった縄文神話の謎』著者に聞く

新幹線のグリーン車で読める雑誌Wedgeのオンラインメディアにて著者インタビューが掲載されました。

これまで土偶問題を最前線で扱ってきたのは考古学。人類学からの土偶へのアプローチは、いわば学際的な研究と言える。

「竹倉さんは今回、イコノロジー(見た目の類似)を活用していますが、考古学では長い間イコノロジーを排除してきました。それだけに従来の考古学への批判も辛口ですね、縦割り化した知性、学問のタコツボ化だと?」(足立)

「考古学は土偶アプローチの一つにすぎず、それだけで謎が解けるはずがありません。私は自分の専門である人類学や宗教学はもちろん、植生史でも地質学でも、あるいは民俗学、環境文化史など使えるものは何でも利用します」(竹倉)

WEDGE Infinity

今回の研究のポイントの1つは、複数の学問での研究成果を組み合わせることで新たな発見を裏付けるという学際的な研究アプローチにあると思います。

こうしたクロスジャンルの発想ができたのは著者のユニークな経歴にも起因しているのでしょう。詳しくは以下の記事を参照ください。

「土偶の変遷が時代の変遷なのですね。しかしイネの土偶まで作ったのに、縄文人が弥生時代に適応できなかったのはなぜでしょうか?」(足立)

「縄文のイネは陸稲もありますが、それはともかく、食料生産方式の激変が共同体のあり方も一変させたからだと思います」(竹倉)

 大陸渡来の弥生人の持ち込んだ水田稲作は、大規模な灌漑工事に依存していた。一握りの権力者による総動員態勢の社会だ。

 水田の土地や収穫物を巡って戦争が生まれ、環濠集落ができ、新たなイネの祭祀もそうした社会構造の変化とセットで広まった。

 堅果類という森林性の炭水化物に頼っていた縄文人が太刀打ちできない、まったく別次元の社会に移行したのだ。

WEDGE Infinity

本書の新説では、あれだけ隆盛を誇った土偶が弥生時代に入って突然姿を消してしまったという謎に対しても非常に説得力のある説明をしています。

大陸から伝来した、より大規模な収穫が期待できる水田稲作技術は、灌漑工事等の技術と合わせて新たな祭祀の文化もセットで広がっていった、と考えると、それまでの植物祭祀グッズであった土偶は時代遅れの風習として衰退していった、という説明は納得がいきます。

この点において本書の仮説よりも説明力のある仮説はないのではないでしょうか。

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日刊サイゾー「土偶は植物のフィギュアだった」独立研究者が発表した新説のルーツと反発を招いた本当の理由

本書では紙面の都合でカットされた部分も含めて、本書を執筆した狙いや研究アプローチ、手法について著者がインタビューに答えています。

――提唱されているのは非常に斬新な仮説ですが、竹倉さんは自説がどう受け入れられてほしいと思っていますか? 学術的に刷新されることが目標ですか? それとも世間に受け入れられればいいと?

竹倉 今回出した仮説には説得力があると思っているので、その検証が社会的になされていけばいいなと。土偶は小学生が見たって「人間じゃないでしょ」と思う形をしているのに、「人間の形をデフォルメしている」などの説が通説になっていて、これまでほとんどの人がそれについて疑ってこなかったという実状があります。そこに風穴が空けばいいかなと。(中略)

 仮説というのは、ひとつの考えでどれだけの事象が説明できるかという一般化能力が重要ですが、もっとも多くの人が納得する合理的な説明がその時代と定説となるべきです。本書で展開されている仮説に異論がある方がいるとしたら、ぜひ公開討論で討議したいところです。多くの人の納得、という点からいくと、公開討論に参加してくれた方にジャッジしてもらってもよいかもしれません。今SNSなどで出ている批判やコメントはほぼ反例であったり、論証過程の瑕疵についての「指摘」がほとんどで、後でも述べますが学説史を踏まえて「では土偶の正体とは何か」について真っ向から答えるという「反論」を、誰も述べてくれていません。研究を前に進めるという観点からすると、少し寂しいところでもあります。

日刊サイゾー

また、今後の活動について著者は次の通り述べています。

――しばらくは土偶研究に携わるかと思いますが、それ以外にどんな関心がありますか?

竹倉 私の根底には、観念に汚染されていない生の世界にアプローチしたいという感覚があります。現代人の飼い慣らされた感覚をアンインストールして、もっと生命感のあふれる新しいフレームで世界を感じてみたい。もともと土偶に興味があったというより、そういう考えから行き着いたのがたまたま土偶だったんですね。ですから、狭義の研究に限らず、そういう試みに賛同してくださる企業やアート系の方からのコラボのオファーはすでにありますし、研修や教育に携わる可能性もあるのかなと思っています。

日刊サイゾー
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代官山 蔦屋書店「竹倉史人×中島岳志トークイベント『土偶を読む』をどう読むか」

5/26(水)オンライン開催のみ。コロナの折、残念ながら書店での開催ではありませんが、生放送のほか、参加者には6/10までアーカイブも配信されています。

NHK「おはよう日本」(4月24日放送)での小特集から話題沸騰、SNS上でも賛否両論、議論を巻き起こしている『土偶を読む:130年間解かれなかった縄文神話の謎』。なぜここまで「土偶」が人々の注目を集めるのか。

本トークセッションでは、社会学や表象文化論的観点から「土偶の語られ方」の変遷を探るとともに、なぜこれまで土偶と植物の「類似」について指摘すらされてこなかったのか、初期の縄文観がその後の土偶研究にどのような影響を及ぼしてきたのかなど、本文に収録しきれなかった論点を整理しつつ検討する。

レヴィ=ストロース『野生の思考』を共に読むことから交流が始まった登壇者の二人。本書の新たな読み解きかたを探る。

Peatix

事前アンケートの結果、約4割はまだ本を読んでいないとのことでした。

イベントでは前半の30分ほどかけて本書のダイジェストを著者からプレゼンテーションがあった上で、中島さんから土偶や縄文の話から日本の歴史観、人類の認知に至るまで様々なテーマで問いかけがあり、二人の間で議論が深まりました。

前半のプレゼンテーションの1コマ

中でも僕が興味深く聴いていたのは、縄文人の認知のカテゴリについての考察。

中島 人類学の力と考古学は本来は隣接していて、人類のあり方そのものへ肉薄しようとする学問。(しかし、人類学から考古学が派生的に生まれた結果として今は)ここが分裂してしまって不幸な分かれ道を遂げている。そういうディシプリン主義があると思う。(本書は)ここをもう1回統合しようという試みなのかなと思う。(中略)

(例えば堅果類も貝類も落ちている物を拾って堅い殻を剥いて中の実を食べるという意味では縄文人から見ると同じカテゴリーだったのかもしれないという意味で)分類方法から見た時に人類学と古代史は交わるところがあると思う。

竹倉 縄文人が我々と同じようにこれは哺乳類だとか爬虫類だとかいう分類をしていた訳はない。そうすると我々の認知のカテゴリだとか生物種のカテゴリをそのまま縄文人に当てはめること自体に無理があり、更に言えばテクニカルな面から見ても合理的ではない。道義的にも縄文人に対して失礼というか、他者を理解しようとする時に自分の枠組みを相手に押し付けて相手を分析してやろうという態度そのものが不遜というか、マナーが悪いなと思った。

そこで、私も植物という大きなカテゴリだけでなくもっと細分化されていたとか、文脈に依存したその場限りのカテゴリとか、もっと具体的な自分たちの挙動や見た目の類似とか色々なカテゴリがあったはずと考えた。残念ながらそれを復元することはできないが、土偶を手がかりにしていけば縄文人の認知のカテゴリも見えてくるのかもしれない。

分類ということもそうだが、私が今回、疑義を呈した考古学の方法論には自分たちの基準で他者を理解しようとする姿勢があり、そこに大きな違和感を感じた。

また、もう1つ大切だと感じた論点は、歴史と政治の関係性についてのくだり。

竹倉 縄文時代、米を食べていないような野蛮人たち、先住民のことを学ぶ必要はないのでは、それは日本史ではない、日本史は日本建国以降で十分ではないかというようなことを考えていらっしゃる方々も一部にはいる。

一方で、いま日本の歴史に縄文も取り込んだ方がいいのではないかという流れがあり、今日の(ユネスコによる北海道・北東北の縄文遺跡群の)世界文化遺産への登録勧告おめでとうという流れがある。もし、日本建国にこだわる人たちの間で縄文も日本の歴史に入れてもいいかという流れがあるのだとしたら、色々な説が出尽くし、中島先生のおっしゃった60-70年代のイデオロギー的なものと結びついた縄文研究や土偶の表象といったものが一段落したところで、私の「土偶は神秘的なものというよりは普通に縄文人が食べていたものなのではないか」という本が出て、これがいい感じで日本人の新しいアイデンティティというか、イデオロギーを超えて展開していけば、縄文というものは日本民族ではなくて日本の土地に生きる我々にとって学べるリソースという風に理解されていくといいなと思う。

中島 歴史は常に過去から現在には流れていない。むしろ現在から過去に向かって流れているというのが歴史の本質。つまり、私たちの今というものをどう位置づけるのかということで歴史は読み解かれている。(中略)

現在の私たちにどういう意味がということを縄文から考えるという思考は途切れないし、有効なものなんだろうと思う。僕たちもその時代に生きている者だから。

予定の1時間30分を超えて、最後は参加者からのQ&Aがあり、充実したイベントとなりました。

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ゲンロンカフェ「竹倉史人 × 武富健治『土偶、植物、神話』」

5/12(水)にオンラインで開催。2021/11までは以下のリンク先からアーカイブを視聴できます。

夜の19時スタートで途中5分ほど休憩を挟んで、番組が終わったのは何と24時近く。4時間50分に亘って「土偶を読む」をもとに本研究のポイントから学問の在り方に至るまで話題の尽きない神回となりました。

私は日本の考古学はとてもリスペクトしていて、考古学における土偶研究に関してはかなり厳しい意見を持っていますが、考古学自体は世界的に見ても最高水準であり、もの凄い先行研究の厚みがあるので、それなしでは私はこの本を書くことはできなかった。

ゲンロンカフェ

番組では、本書の研究や仮説のポイントについて分かりやすくプレゼンされたほか、以下のような批判ポイントについて武富さんが読者に代わって著書に確認するパートもみどころです。

  • あえて編年研究に踏み込まなかった理由
  • 本書で取り上げた対象の土偶の選定基準
  • モチーフの類似性を平面中心で検証した理由

これらの回答として、紙面の都合で本ではカットされた本研究のアプローチや手法について著書から丁寧に解説されました。

結果的に武富さんや司会の堀内さんも「この番組で本書が完成する」「こうした解説を追加したあと1ページが本書にあれば誤解も解けたのでは」と納得した様子でした。

縄文時代の遺物である「土偶」。一般的には、土偶は(妊娠した)女性をかたどったもの、地母神説などがいわれている。それらの説に対して、新たな説を提唱したのが、人類学者の竹倉史人氏だ。

竹倉氏の説はこうだ。「土偶は〈植物〉の姿をかたどってる」のではないか。新著『土偶を読む』(晶文社)では、土偶の形態を具体的に解釈するイコノロジー研究の手法、環境文化史・民族植物学など最新の考古研究の実証データを用いることで、土偶の「プロファイリング」を行なった。そんな本書の内容は、発売直後から話題騒然となる。各種メディアでも取り上げられ、SNS上ではさまざまな議論を呼んでいる。

この度ゲンロンカフェでは、竹倉氏に本書の内容をご紹介いただくとともに、研究者として土偶の解読にどのように挑んだのか、氏のヒストリーを交えながら、たっぷりとお話をいただく。

トークのお相手はマンガ家の武富健治氏、司会はゲンロンの堀内大助。TVドラマ・映画化された代表作『鈴木先生』など、濃密な心理描写や骨太のストーリーテリングで高い評価を集める武富氏は、現在「漫画アクション」にて『古代戦士ハニワット』を連載している。主人公「ハニワット」が戦うのは、「土偶」をモチーフにした「ドグーン」。マンガならではの大胆な想像力に満ちあふれた、伝奇SF的な英雄譚として人気を広げている。

2018年には東京国立博物館の特別展「縄文――1万年の美の鼓動」が30万人を超える来場者数を記録するなど、近年は「縄文ブーム」に沸いている。土偶を解読することで縄文の精神性に迫った竹倉氏、古代史に熱い思い入れをもつ武富氏が、土偶と縄文文化の魅力についても掘り下げていく。絶対にお見逃しなく!

ゲンロンカフェ
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じんぶん堂 話題の本『土偶を読む』の編集者「そこにしかないものの痕跡を残したい」

本書のあとがきにも登場する晶文社の編集者、江坂さんがじんぶん堂でインタビューされました。

 江坂さんは「ファクトの細かな部分を追究する学術書が多い中、『土偶を読む』のように、学際的でかつ壮大な視野を持つ本の登場は久しぶりなのではないでしょうか。竹倉さんが心から楽しんだ研究は冒険のようで、読む人をわくわくさせてくれます」と話す。

じんぶん堂

 「この本は『考古学』の研究書ではなく、人類学・神話学・美術・認知科学等さまざまな視点から、これまでは考古学が専門としていると思われていた『土偶』あるいは『縄文人のこころ』にアプローチしたものです。それゆえ、考古学研究者のお墨付きは特に必要ないと考えました。基本的に研究というものは何か新しい見解をそこに付け加えない限り、意味がない。今までにないまったく新しい視点を提示したこの本は、まさに真の研究だと思います」

じんぶん堂

確かにAmazonでは「考古学」ジャンルに分類されていますが、本書は考古学の専門書と言うよりも様々なクロスジャンルの視点から「考古学が専門としていると思われていた」土偶について研究した本です。

通常、専門書を商業出版する際は、当該分野の専門家のお墨付きがないと出版社はなかなか取り合ってくれないようですが、従来の学問の枠組みに囚われない本書と、従来の出版の常識に囚われない江坂さんとの出会いによって初めてこの本の出版が実現できたのでしょう。

また、インタビューでは、ブックデザイナーの寄藤文平さんと古屋郁美さんによる本書のデザインへのこだわりにも触れられています。表紙のポップなデザインも印象的ですが、本文の読みやすいレイアウトはこうした方々のこだわりと綿密なデザインに基づいていたんですね。

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情報工場 「読学」のススメ#93「土偶界のイノベーター」登場!画期的「土偶」論に見るイノベーション的思考とは?

日刊工業新聞社による「ニュースイッチ」の書評連載「読学のススメ」第93回に本書の書評が掲載されました。

突然現れたイノベーターに対し、既存業界の強者が反対勢力となって「出る杭を打つ」のはよく聞く話だ。とくに既存の枠組みを大きく変えるような「破壊的イノベーション」の場合、既得権勢力は必死にその芽を摘もうとする。(中略)

土偶=植物像説が考古学界に受け入れられるまでには、まだ時間がかかるかもしれない。それは、ウーバーがタクシー業界に警戒されたのと似ているようにも思える。しかし、庶民の納得感から、植物像説が土偶のデファクトスタンダードになる日は近いように思えてならない。

ニュースイッチ

本書の研究アプローチについてイノベーション的な思考の観点から指摘されています。

ビジネスの世界でも課題になっているのが「サイロ化」。細分化された専門家だけでは社会に役立つイノベーションはなかなか生まれてきません。

業際的、学際的なアプローチで、俯瞰して課題を捉えて大胆な仮説を立てて検証していく「アブダクション」的な発想法が今後ますます求められていくことでしょう。

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書評 養老孟司さん(東京大学名誉教授)

「バカの壁」でお馴染みの養老孟司さんから書評が寄せられました。

本書の面白さは二つある。一つは土偶がヒトではなく、植物や貝を象ったフィギュアだという発見、もう一つは素人がほとんどゼロから始めて、大きな結論にたどり着くという具体的な過程である。ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思うのは、学問はかならずしも専門家のものではないということに気づいて欲しいからである。日本の現代社会がおかれている一種の閉塞状況を打ち破るような、こうした仕事がもっと様々な領域から出てきてほしいと願う。

晶文社

竹倉氏は東大に在籍中に医学部の人体解剖実習を履修し、そこで得られた知見が後に今回の成果として活きたと語っています。いつか二人の対談が実現したら、ぜひ聴いてみたいですね。

じつは養老先生からお言葉を頂くのは特別な意味があります。というのも、ご存知の通り養老先生は東大医学部の解剖学教授を務められていましたが、今回私が土偶の研究をするにあたって非常に役立った経験がありまして、じつはそれが東大医学部での「人体解剖」だったからです。
東大には所定の単位を取得すると他学部の学生も人体解剖実習に参加できるという珍しい制度があります。当時宗教学科で学んでいた私は、この制度を利用して医学部で1ヶ月以上、メスを片手に毎日のように人体解剖に勤しみました。
このとき、人体の構造や形態をマクロに掴んでいくアプローチに魅了された私は、大学院は東京藝術大学の美術解剖学に進学しようと上野に願書を取りに行った記憶があります(結局は受験せずにフリーターになりましたが笑)。
そして、特別に入室を許可された東大医学部標本室には養老先生らが製作したプラスティネーション標本(生体の水分をシリコンなどに置換した標本)が置かれており、私はそこで実際にヒトの心臓などを手に取りながら、その機能的形態に驚嘆したものです。
美大時代の経験はもちろんですが、東大での人体解剖の体験が、縄文土偶を安易に神秘化・象徴化・観念化せず、まずはモノとして徹底的にそのフォルムを観察し、そこから仮説を発見するという今回の成果に繋がったように思います。
あれから20年近い歳月を経て、こうして再び養老先生とのご縁を賜われたこと、奇跡のように感じられます。養老先生、ありがとうございました。

竹倉氏のFacebook
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HONZ 首藤淳哉さん(HONZレビュアー)

HONZに首藤 淳哉さんの書評が掲載されました。

面白い本を読んでいると、きまって他の本も読みたくなってしまう。知的刺激を受けて脳が活性化するのかもしれない。「あの本にはたしか別の説が書いてあった」「あの著者も似たようなことを言っていた」といちいち確かめたくなる。

本書もそう。読み始めてすぐ、あまりの面白さに興奮を覚え、気がつけば本棚からありったけの縄文本をひっぱり出し、それらを時折参照しながら読みふけっていた。

本書は土偶の謎を史上初めて解明したと高らかに宣言する一冊だ。
土偶の研究がはじまって130年以上にもなる中、まだ誰も解いたことのない日本考古学史上最大の謎をついに解き明かしたという。はたして本当だろうか?ここまで大きく出られると、普通は眉に唾するのが常識をわきまえた大人の態度というものだろう。

ところが、である。こちらのガードはあえなく粉砕された。
著者の推理はスリリングで実に面白い。かつてこれほど知的興奮をおぼえた縄文本があっただろうか。この刺激を体験するだけも本書を読む価値がある。

HONZ

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