「土偶を読む」の反響【雑誌編】

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2021/4に晶文社から発売されて話題となった「土偶を読む」の反響のうち、主要な雑誌に関するものを紹介します。

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サライ 2022年5月号 人類学者・竹倉史人さんが読み解く、「土偶の招待」

小学館「サライ」の2022年5月号の特別付録は土偶のクリアフォルダー。冒頭の特集で「土偶を読む」の新説と図鑑版が紹介されました。

「従来の土偶研究は縄文人をいたずらに神秘化し、抽象化して、実態と乖離してしまった。土偶はもっと切実な、日々の生活と結びついていたのではないか。そこには、縄文人の心の持ち方や暮らしぶりが表れているのです」

サライ
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文藝春秋 2022年3月号 「土偶はゆるキャラ!?」

文藝春秋 2022年3月号に「土偶はゆるキャラ!?縄文時代の「ヤベえ」発見を縦横無尽に語り合う」と題して、みうらじゅん氏と竹倉史人氏の対談記事が掲載されました。

本号の目玉特集である第166回の芥川賞受賞作品「ブラックボックス」(砂川文次)の全文掲載と講評記事の直後というベストポジションに堂々の8ページ特集。

文春オンラインでも「土偶の謎を解いた」みうらじゅんとサントリー学芸賞受賞者が語る“東大脳”と“美大脳”の違い、と題して特集記事の一部が掲載されました。

ムサビの先輩・後輩対談

東大に独学で合格

 みうら 竹倉さんも、もともとは美術系の人なのに、なぜ武蔵美ムサビをやめちゃったんですか?あそこ、天国じゃないですか(笑)。

 竹倉 そう。私は映像学科だったんですが、夢のような日々でした。広場でバドミントンやって。

 みうら 一緒ですよ。僕の時代は缶蹴りでしたけど。

 竹倉 最高に楽しかったんです。でも二年生が終わるとき、電話がかかってきて「留年」と言われて。大学には毎日通っていたんですが、提出物のサイズを間違えたりして、必修の単位を落としてしまって……。「マジか。留年か」と思って寝そべっていたら、無意識の心の声みたいなものがビビビッときて「もうやめろ」と。最終的には授業料を払わないまま除籍になりまして。

 みうら やめてからは何を?

 竹倉 ヒモをやっていたんです。実家に帰れなくて、就職しようと思っても「大卒以上」と書いてあるし。それでお風呂に入っていたらまた心の声がビビビッと来て、「東大に行け」と言うんです。「ムリムリムリ」と思いつつ、一応新宿の書店に行って、高校の数学の教科書を買いました。

 みうら ヒモをしながら働かずに勉強だけしていたんですか?

 竹倉 そうなんです。朝起きると食卓の上にご飯が作ってあるので、それを食べて、勉強して。

 みうら もうそれ、家庭だ(笑)。

 竹倉 もうお母さんです(笑)。彼女は夜の仕事もしていて、スナックにあったクジラベーコンとかを持って帰ってきてくれるんです。そのおみやげを楽しみに勉強するという生活で。おかげで美大除籍の翌年に東大の文科Ⅲ類に合格し、三年生からは文学部宗教学科に進学しましたが、学問の世界にはずっとアウェー感がありました。卒業後はフリーターをしていたんですが、三十歳を過ぎて母ががんで亡くなって、スイッチが入ったんです。このままじゃ終われないな、勉強をもう一回ちゃんとしてみようと。そのとき東工大の裏に住んでいたんですが、たまたまそこに知り合いの先生がいることがわかって、そのまま大学院へ入って。

p.376

何だか、みうらじゅんさんが普通のインタビュアーに見えてくるから不思議です。心の声に耳を傾けて、導かれるように美大から東大、そして東工大へ進学し、人類学の研究を深めていくことに。

ヒモをしながら勉強を始めて1年で東大に合格するというのは凄い集中力です。

美大脳と東大脳

 竹倉 今の考古学では「はっきりとわからないことなんだから結論を出しちゃいけない」みたいな空気があるんですよね。一方、教科書には「土偶は女性をかたどったものだ」などと書いてあるわけです。(中略)

学問の世界に入る前に美大でデッサンの勉強をしたことで、右脳が鍛えられて、ものの形を見る回路が強化されたんです。

 みうら わかります。一度絵に描いてみると理解力が増しますから。

 竹倉 美大を中退して東大に入ったら、人種が違いました。同じハトを見ても、東大の人たちはコンセプトが先なんです。鳥類というカテゴリーだったり、生態だったり。ムサビの友人の場合は、「首のラインが」とか「羽の色のグラデーションが」などといってデッサンし始める。

 みうら そこが作り手と評論家の違いですよね。謎なものって、まず作り手の側に立って見ないとわからないことがありますからね。

p.372

左脳的な抽象概念やロジックの積み上げだけでは決して到達できない気づきがあります。

目の前のモノをありのままに観察すること。微細に土偶に刻まれた文様などを確認しつつ、引いて全体のフォルムを眺める。竹倉氏の大胆な仮説は美大で培ったデッサンの基礎、モノをしっかりと見つめる姿勢から生み出されたと言えるでしょう。

植物の精霊の妊婦

 みうら 土偶は植物や貝の像であるという仮説は竹倉さんの中で絶対に揺るがないですか?これまで言われていたように妊婦の像である可能性はないと?

 竹倉 今まで言われていた説って結局、全部私の説の中に含まれるんですよ。たとえば我々が木の実と呼んでいるものって、言ってみれば植物の卵なんですよね。実=卵を土に埋めて発芽するって、まさに植物の妊娠と出産です。そういう意味では「縄文のビーナス」なんかは完全にお腹がポッコリ出ているので、あれは妊婦像だと思うんですけど、人間の妊婦じゃなくて植物の精霊の妊婦だったというのが私の説なんです。

 みうら なるほど。

o.375

次回作では、「土偶を読む」では紙幅の都合で割愛した「土偶は何のために作られたのか?」という問いに対して、再び学際的なアプローチで導き出した大胆な仮説を披露するそう。

このユルい対談が文藝春秋で楽しめるというのもまたクールです。

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プレジデントFamily 2022年1月号 【15周年特別版】子供が「集中」する部屋

特集「トップレベルの頭脳が日常を過ごす環境」に「土偶愛が溢れる!研究者のキョーレツな自宅」として写真入りで大きく自宅の部屋が紹介されました。

部屋の中には縄文時代の土偶をはじめ、世界各国の民族が宗教儀礼などに用いる木像やお面がズラリ。なかには観音像があったり、アイヌ民族やホーチミンの写真もあったりで、なかなかにカオスな空間である。(中略)

「縄文人は自然の中で暮らし、自分の手でものを作っていた人たち。そういう人たちの作った土偶に抽象的な観念が入り込むはずがない。土偶は具体的な役割を持つ道具であり、その造形にも必ず意味がある、と考えたんです」

プレジデントFamily

愛猫のメイちゃんが彫像のようにすっと立って写り込んでいるカオスな部屋の写真は一見の価値あり。

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with 2022年1月号 特集「27歳からの学び方」

講談社のwith 2022/1月号の特集「27歳からの学び方」に写真付きインタビューが掲載。どこに写っているか分かりますか?

メッセージとしては、「人は利他的に生きると喜びが増す。学びも自分のためだけにしないで社会との関わりという視点を持つことが継続して成果を出すコツ」というもの。深く共感します。

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武蔵野樹林 vol.8 2021 土偶=「日本最古の神話」が刻み込まれた植物像だった!

角川文化振興財団の武蔵野樹林 vol.8に特集「 土偶=「日本最古の神話」が刻み込まれた植物像だった! 」が掲載されました。

オールカラー10ページに渡る特集は、前半の6ページを割いた論考「武蔵野土偶の謎を追え」(竹倉史人)と後半4ページの特別対談「素直に見つめ推論する 養老孟司✕竹倉史人」の2本からなっています。

論考「武蔵野土偶の謎を追え」

この論考で筆者は「土偶を読む」の要旨を整理した後に、これまでの土偶研究で不足していた「土偶のモチーフ」推定の観点からなるアプローチの重要性・必然性について、論理学者パースの記号論から解説しています。

 この二極を論理学者パースの記号論ーーヒトが扱う情報をインデックス/イコン/シンボルに3類型化するーーに依拠して抽出するならば、編年原理主義は土偶のインデックス情報のみを、また深層心理主義は土偶のシンボル情報のみを扱う趨勢であったといえる。つまり昭和初期以降の土偶研究には、土偶のイコン情報を扱うという第三の方法論が不在であったのである。(中略)

 土偶のモチーフを解明するということは、土偶のイコン情報にアプローチするということである。それは「土偶は何をかたどっているのか」、すなわち「土偶の形態は何に似ているのか」という問いを立てて、イコノロジーを用いて土偶を分析するーーたとえそれが感覚に依拠する過謬リスクの高い方法だったとしてもーーことを意味している。逆にいえば、イコノロジー以外、われわれが土偶のモチーフ問題へアプローチする方法は存在しない。こうした学史的な経緯を踏まえ、その問題点を克服すべく書かれたのが『土偶を読む』だったというわけである。

武蔵野樹林 vol.8

本書への批判の論点として「見た目が似ているという着想は主観的だ」といったものが挙げられますが、本論考ではこうしたアプローチこそが従来の研究で決定的に欠けていたという事実とその重要性について明快に示されています。

6ページに亘る論考「武蔵野土偶の謎を追え」

論考の後半では、「筆者のイコノロジー研究の成果と手法を応用し、「武蔵野土偶」のモチーフを推定」するという新たな試みがなされます。武蔵野で発掘された「カモメライン土偶」やハート型土偶、山形土偶、遮光器土偶などの分布は当時の縄文人の食生活と整合していることが示されており、本仮説の汎用的な説明力の高さがうかがえます。

本書には出てこなかった仮説の適用例として、町田市のなすな原遺跡で発掘された山形土偶と淡水性の二枚貝(マツカサガイ等)の類似性には驚くばかり。

この土偶のような「長軸が長い楕円形の頭部の形態を、これが貝殻をかたどったものではないというなら、一体どのように説明するのだろうか(地母神?妊娠女性?デフォルメ?頭部をわざわざ横長の楕円形にする理由は?」という筆者の問いかけに答えられるカウンター仮説があるのなら、ぜひ聞いてみたいものです。

本書を読んだ後にこの論考を読むと、続編、応用編として楽しめることでしょう。

特別対談「素直に見つめ推論する 養老孟司✕竹倉史人」

特別対談「素直に見つめ推論する 養老孟司✕竹倉史人」

後半は、本書に「偏見を打ち破る学問の仕事」と題していちはやく書評を寄せた養老孟司さんと著者の初対談の様子が収録されています。

タイトルにもなっている「素直に見つめ推論する」とは一体どういうことなのでしょうか。

ーー竹倉さんの『土偶を読む』は、今春、非常に話題になりました。先生は、『土偶を読む』のどのようなところを特に面白く読んだのかお話いただけますでしょうか。

養老 見たものから素直に推論しているところですね。それって結構難しいんですよ。見たものは当たり前じゃないか、そこから先を考えるということがなかなかできない。だけど、言われてみればそうだという人が多いんじゃないでしょうか。大体そういうのを邪魔するのは、自分の持っている考えですね。偏見といってもいいけど。学問は、ある程度偏見が強くないとできない。だから、専門家はなかなか素直な味方をしづらくなっている。解剖実習をしているとよくわかります。(中略)

竹倉 シンプルに土偶を眺めて、これはどんな人がどんな気持ちでこねて作ったのかというところに自分の感覚を共振させることがなければ、いくら立派な機械を使って精密なデータを取ってみたところで、そんなものは大した役には立たない。そういう意味では、私がやったことは小学生でもできることですね。先生のおっしゃるとおり、まさに「素直に眺める」ということに尽きます。

武蔵野樹林 vol.8

また、本書の研究史から見ていくアプローチについてはこう語られています。

ーー竹倉さんの観察の仕方というのは、土偶に対する研究史から入っていったということですが、研究のアプローチとしてはどう思われますか。

養老 研究は、普通は歴史から入ります。僕は分類をやっていますから。分類は、今までそのグループに関して書かれたものを全部知らないといけないんですよ。例えば、新種であると決めるためには、それまで名前が付けられていない、見られていないということを確認しなければいけない。

竹倉 先生が今おっしゃった「分類」ということでいうと、まさにその次代の認知のカテゴリーがそのまま、物事の分類の仕方に反映しますよね。(中略)

私でいえば、土偶というものが時代によってどのように表象され、それがどのように変遷してきたのか。その歴史をたどることで土偶に接近していきました。このあたりはアプローチが似ているように思います。

ーー養老先生は、この竹倉さんの本でとくに印象に残った土偶の話や、章などがありましたか。

養老 どれにも関心がありましたよ。土偶って変なもんじゃないですか。普通のものじゃない。誰でも土偶を見ると、これ、なんだろうと思うと思います。その疑問によく答えてくださっている。そこにまずひかれたんですね。

武蔵野樹林 vol.8

「バカの壁」が450万部を超える大ベストセラー作家であり東京大学名誉教授でもある養老さんですが、驕ることなく独立研究者と対峙して相手の研究に対して素直に敬意を評している姿勢、そして「素直に見つめる」ことを大切に維持している姿勢に感銘を受けた対談でした。

最後に独創性に関するニーチェの言葉を紹介しておきます。「素直に見つめる」ことにも通じますね。

「独創的? 
何か新しいものを初めて観察することではなく、古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にもふれていたが見逃されていたものを、新しいもののように観察することが、真に独創的な頭脳の証拠である。」

ニーチェ
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小説幻冬 2021年11月号 「土偶のモチーフは植物だった!?縄文人になりきった執念の研究」

小説幻冬のKIKIさんの連載「本の山」に「土偶のモチーフは植物だった!?縄文人になりきった執念の研究」と題した書評が掲載されました。

八百屋で並んでいる里芋を眺めているだけではわからないが、筆者は縄文人になりきって、里芋を栽培する。その過程で、土偶と告示したかたちを見つけ出していくのだった。その執念には驚かざるをえない。(中略)

私の娘がいつか学校で土偶を学ぶときには、植物由来の説が有力なものとして教科書に書かれていたら興味深いのに!と思ってしまうほど、著者の論理には説得力がある。社会の先生が、学年初めに「里芋を栽培しましょう!」と授業を始めたなら、誰もが縄文時代、日本史を好きになるだろう。

小説幻冬

武蔵野美術大学の造形学部出身のモデルKIKIさんにとっては本書の仮説はすーっと腹落ちしたようです。KIKIさんのお子さんが土偶を学ぶ頃には、土偶に関する教科書の記述はどうなっていることでしょうか。

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ムー 2021年10月号 特集「縄文土偶を読む! 正体は「植物の精霊」だった!」

月刊ムーの2021/10月号に「縄文土偶を読む! 正体は「植物の精霊」だった!」と題した6ページに亘る特集が掲載されました。

今まで存在は知っていたものの手に取ったことはなかった同誌ですが、分かりやすく本書のポイントを整理して伝えています。

 土偶にはさまざまな顔や姿かたちのバリエーションがあるが、これらは人間の特徴をデフォルメしたものとされ、土偶の表面の文様も縄文人の文身や衣服を表しているとされている。一般的には、土偶の文様や形が、人間以外の特定の事物と結びつくとは考えられていない。
 ところが竹倉氏は著書の中で、これに真っ向から異を唱えている。土偶のさまざまな特徴は、彼らの食事、特に植物と結びつくというのだ。土偶は、人間を表しているものではなく、植物の精霊を表していると主張している。
 植物の精霊というと、ナシの精「ふなっしー」を思い浮かべる読者も多いと思うが、いわば土偶は、縄文時代の「ご当地キャラ」というわけである。
 つまり、人間をデフォルメしたものではなく、擬人化された食べ物が土偶だったのだ。

ムーPLUS

また、ムー編集長の三上丈晴さんが自ら動画で熱く本書について語っています。

話題の書籍「土偶を読む」をもとに、縄文土偶と精霊信仰のかかわりを読み取る!
擬人化する、キャラ化する文化は縄文時代からの日本列島に息づいていたー!?
考古学会騒然の仮説をムー的にも解説。

ムー公式スーパーミステリー・チャンネル
  • ふなっしーは梨の精霊。縄文時代だったら土偶だった。
  • 遮光器土偶はムー的には宇宙人、宇宙服の一択(笑)だが、本書の説によるとサトイモの精霊。
    • 遮光器土偶はシャコちゃんじゃなくてサトちゃんだった。
  • 様々な仮説、異説を取り扱うムーとしては大歓迎。

三上編集長、いかにもムー的な風貌ですが、筑波大学自然学類卒業を卒業後に学研に編集者として入社という経歴、そしてムーが学研から出版されていたことを知って驚きました。

誰にでも分かりやすく内容を伝えるという意味でよく編集されている動画でした。

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週刊ポスト 2021/8/27・9/3号(大塚英志氏)

週刊ポストの2021/8/27・9/3号に国際日本文化研究センター研究部教授の大塚英志さんによる書評が掲載されました。

 デザイン的に「シンプルな造形」を任意に「原型」を設定することは、AIの研究者などがローデータを入力するための枝葉を落とし整理する手続きにそれこそ「似て」いる。カタチをデジタル的直感でとらえる著者の知や論理性の精緻さはどこまで意図されたものかわからないが、近頃のぼくが情報系の人々と意図的に対話することで日々感じとろうとしている「違和」に近い。

 わざわざそんなことをするのは、この二つの「知」というか、言葉や思考がもう少し対話可能でないとちょっとまずいよね、というのが個人的な危機感で、その意味では本書はその貴重な試みとして貴重なのだが、元は神話の人類学的研究から始め、今どき(皮肉ではなく)柳田國男やフレイザーや坪井正五郎といった始まりの人文科学に言及もできる若者の研究はもっと深い人文知と情報知の対話の可能性を持つはずだ。

週刊ポスト

民俗学を学び、マンガ編集者としても活躍した大塚さんならではの、イコノロジー手法とAIの画像認識におけるデータ前処理とを比較する視点はユニークです。

学問のみならず、新しい発見やブレイクスルーを実現するには、様々な視点から物事を眺めて分析する姿勢がますます重要になってきています。

著者は考古学という1つの学問の視野から考察できる観点の限界を感じて、意図的にクロスジャンル的なアプローチで本書の研究を進めることで、斬新な仮説を提示し実証しました。こうした試みがより広がっていくことに期待しています。

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週刊朝日 2021/7/30号 書評(斎藤美奈子氏)

週刊朝日の2021/7/30号に文芸評論家の斎藤美奈子さんによる書評が掲載されました。

 やれ妊娠した女性だ、地母神だと土偶はなべて豊穣を願う女性をかたどったものだと説明されてきた。だが著者はいうのである。女性どころか人間にすら見えない。たしかにそうだ!(中略)

 土偶を女性の身体だとみなす発想は、私も違和感があった。いま思うと、土偶に性的な意味をみいだすのは男の考古学者のスケベ根性だったのではないか。

週刊朝日

とりわけ考古学界というと男性のイメージが強いですが、土偶のモチーフに関する通説の妥当性については特に女性の考古学者の方々のご意見もぜひ伺ってみたいです。

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週刊文春 2021/7/29号 書評(鹿島茂氏)

週刊文春の2021/7/29号にフランス文学者・評論家の鹿島茂さんによる書評が掲載されました。

以下のサイトから全文を読むことができます。

考古学者からの反論が予想されるが、私には「ほぼ正解」のように思える。ひとことでいえば偉大なる発見なのである。しかし本書では設定した三つのテーマ「①土偶は何をかたどっているのか(what)②なぜ造られたのか(why)③どのように使われたのか(how)」のうち①しか答えていない。吉本説の検証には②とりわけ土偶の多くが女性的特徴をもっている理由の解明が必要である。次作が待ち遠しい。

週刊文春

鹿島茂さんは本稿で吉本隆明さんの「共同幻想論」について検証する過程で本書に出会い、その主張が「対幻想論」を裏付ける根拠の1つになるのではないかと着想したそうです。

吉本説とは、すなわち「狩猟採集と初期農耕の時代には人間と植物の再生産・生成過程は同一視され、対幻想は子を産む女性に集中されていたがゆえに共同幻想と対幻想も同一視されていた」という仮説です。

著者は本書では紙幅の都合から土偶のモチーフに限定して仮説を述べていますが、講演やインタビュー等では土偶がなぜ造られたのか、どう使われていたか、といった問いに対しても独自の仮説を提示しています。

こうした中で筆者は、縄文人は植物の発芽・成長と人間の出産をアナロジーで同じ原理として認知していたのではないかという仮説を提示しています。

八ケ岳エリアや青森の三内丸山遺跡から出土する縄文中期の土偶を見ると、トチノミをかたどっていると読めるものが多いんです。また新潟県域からはおなかの部分にトチノミの発根や発芽のシーンを表現したと思われる土偶がいくつも見つかっています。

GLOBE+

土偶のデザインに見える文様について人間と植物のアナロジーで読み解く仮説については、既に2019/11に開催された東京工業大学での講義でも紹介されていました。

まだ科学がない縄文時代に、人間が植物を認識し理解するときには、人体のアナロジーで類推するアプローチが最も自然な思考法であったと思われます。

例えば、様々な土偶のへそ周りに多く見られる上向きの線。一般的には、女性の妊娠線と考えられていますが、アイヌや世界中の神話に見られる植物起源神話的な発想、すなわち「人間とはへその緒を切断することで動けるようになった植物」と縄文人が考えていたとすると、へそは種子、上向きの線は発根のアナロジーとも考えられます。

例えば、縄文人の主食の1つだったトチノミは実際に種子から発根するのはごく僅かであり、貴重な食物の豊穣を願うための発根儀礼において土偶が使われていたのではないかという仮説が生まれます。

2019/11/24 東京工業大学での講義より

本書の続編が出るのであれば、土偶が②なぜ造られたのか(why)、③どのように使われたのか(how)といった更に深い謎に対する考察もぜひ期待したいところです。

この書評がきっかけとなり、鹿島さんと著者のオンライン対談イベントが開催されました。

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WiLL 2021/8号 目からウロコ『土偶を読む』の破壊力

同誌の7月号で書評を書かれた直木賞作家の中村彰彦さんと竹倉氏の対談。なんとカラー12ページに亘る読み応えのあるインタビュー長編です。

前半の10ページは、本書で検証されている幾つかの土偶について取り上げて、中村さんが掘り下げて質問していきます。

イラクのシャニダール洞窟で発見されたネアンデルタール人の遺骨に添えられた花の話から、中村さんが学生時代に長野県でオニグルミを拾って食べた時の体験談、三内丸山遺跡の発掘から見えてきた新たな縄文人像など、二人の対談は様々なテーマに亘り展開。

中村 日本は幕末、西洋列強の威力にまざまざと出会い、維新を成し遂げ明治という時代を迎えました。とにかく近代国家になろうと、過去を否定し、富国強兵・殖産興業をスローガンに、最新技術や文化を積極的に取り入れた。一方、その反動で、縄文時代は未開の時代でしかなかったという一種の偏見と別紙が生まれてしまった。以来、百三十年間、そういった考え方が続いてきたのですね。

竹倉 しかもかつて、縄文人(当時は「石器時代人」)と日本人とはまったくの異民族だと考えられていた。建国以前の日本にいた野蛮人を神武天皇が征服し、日本という国をつくり上げたという歴史観です。ところが、近年の分子生物学の研究成果によって、多くの日本人に縄文人の血が流れていることが判明した。それもあってか、手のひらを返すように縄文人は立派だったと言われることに。そのほうが我々にとっても都合がいいですからね(笑)。

中村 正常に戻ったと言えます。むしろ弥生時代のほうが、日本史にとって異質の時代でしたよね。

WiLL 2021/8号

そして、インタビューの結びでは、中村さんから考古学界が経験した過去のトラウマについて紹介され、それを受けて本書への批判に対する著者の考え方が少しだけ示されています。

中村 考古学界からの反発がすさまじいでしょう。専門家でもない人間が土偶のことがわかるわけがないとか、くだらないことばかり言っている。これだけの反発を招いているということは、竹倉さんの本がそれだけ画期的だった証拠ですが、要するに嫉妬しているだけ。そもそも考古学会は閉じられた世界で、捏造騒ぎもいろいろ過去にありました。(中略)

竹倉説を先入観で否定するのではなく、考古学会は真摯に受け止め、日本史の教科書に記載するよう働きかけるべきです。

竹倉 もちろん私の仮説ですべての土偶を解読できるわけではありません。十分に説明できていない小さな矛盾点もいくつもあります。しかしそれでもなお、全体として見た時に、私の仮説が現時点における最も客観的かつ説得力のある土偶論であることには自信があります。モチーフに似ている土偶もあれば、似ていないものもある。JISのように統一規格があって土偶をつくっていたわけではないですからね。そのあたりのクレームは私ではなく土偶をつくった縄文人に言ってほしいですね(笑)。

中村 つくり手の巧拙もあったでしょう。

竹倉 ええ。ともかく定義づけや規格性を設定すると、本質が見えなくなります。批判する人たちは「都合のいい土偶を選んでいるだけだろう」と批判しますが、「土偶とは〈植物〉像である」という仮説によってどれだけ多くの土偶の造形を有意味化できるか、その能力を検証しているわけで、説明できるものを選ぶのは当然です。一方で「もっと精査が必要だ」という声があることも承知しています。そこはお互いに協力し、さまざまな角度から私の説を検証してほしい。

中村 揚げ足とりをする輩が、どの世界にも必ず存在しますからね。

竹倉 土偶を調べていくにつれ、これは日本だけの文化遺産ではなく、人類史的に価値のあるものだということが深く実感できました。ところが、日本の狭い学界はタコツボ化しており、新説や異説を排除する傾向が強い。そのため、土偶を世界的に紹介する機を逸しているような気がしてなりません。学界内での意地の張り合いをしても意味がない。みなで盛り上げて、土偶の世界的価値を広く伝えられればと思います。

中村 それと土偶を展示する際は、竹倉説を解説板で紹介してほしい。全国の土偶を展示している博物館の学芸員は、竹倉さんの本を読んだ人たちから声をかけられ、困っているとか(笑)。そういう声がどんどん出てくれば、風穴を開けられますよ。

WiLL 2021/8号

土偶は単なる日本の文化財を超えて世界の遺産として日本が誇るべきものであり、その正体が「諸説あるがよくわからない」という説明では非常にもったいないと感じます。

少なくとも、諸説の1つとして本書で示された「土偶とは〈植物〉像である」という説も含めて世界に発信していくことで、土偶の持つ魅力がより多くの人々に知られて、縄文人が持っていた精神性の一端が現代の我々にも脈々と引き継がれていることに思いを馳せるきっかけになればいいと思います。

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WiLL 2021/7号「歴史の足音」

直木賞作家の中村彰彦さんが連載「歴史の足音」で「縄文の謎を解く卓見『土偶を読む』の衝撃」と題して本書を取り上げています。

中村さんの読後のワクワクドキドキ感が伝わってくる読み応えのある書評です。

これは読まなければ、と思ってページをひらいたら卓見とよく出来たミステリ以上の推理との論証の連続で、私は目から鱗が落ちる思いを幾度となく味わわされた。

WiLL 2021/7号

まことに快刀乱麻を断つが如き分析と総合の連続で、特に「遮光器土偶」の消滅と「刺突文土偶」「結髪土偶」の登場をサトイモの絶滅とヒエ・イネの栽培開始によって裏付ける手法には胸を打つほどの説得力がある。

WiLL 2021/7号

特に印象的だったのがこのくだり。子供達への教育の視点は非常に重要だと思います。

考古学会にも一つ注文したい。それは、早く竹倉説を定説として認め、日本史の教科書に紹介してほしい、ということだ。竹倉説に則った土偶の読み解き方を教えられれば、少年少女たちが目を輝かせることは請け合いである。

WiLL 2021/7号
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