読書メモ

そして、ぼくは旅に出た。

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大竹英洋さんの「そして、ぼくは旅に出た。」を読みました。読み始めたら最後までページをめくる手が止まらない、静かで不思議なパワーが伝わってくる冒険ストーリー。

あたかも一編の映画を観ているかのように、あるいは、共に旅をしているかのように引き込まれていく、不思議な力に満ちた一冊。
それは、なんの確約もない旅立ち。——だからこそ、最後に握りしめることができたもののかけがえのなさと確かさを、この本とともに、あなたも握りしめてください。

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大学でワンダーフォーゲル部に入り、自然の中をキャンプしながら旅をする魅力に取り憑かれた「ぼく」は、就職活動をすることなく、写真家になろうと決意します。その「ぼく」が大学4年生のある晩に見た夢の話から始まる物語。

その夢の中で出会ったオオカミが気になって図書館で手にとった1冊の写真集に心を打たれた「ぼく」はその写真を撮ったジム・ブランデンバーグに弟子入りしたいと考えて、会いに行くことを決意します。

まだスマホもない90年代、ネットで調べてもほとんど情報が得られない中で、写真集に書かれた彼の住んでいる町の名前と手書きの地図だけを頼りに3ヶ月の往復航空券を買ってアメリカに旅立つ「ぼく」。

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カヤックの旅

「世界的な写真家の弟子になる」という目的だけは明確ですが、そこに至るまでのプロセスは全くのノープラン。ポートランド経由でミネアポリスに降り立った「ぼく」は、つたない英語で少しずつ手探りでジムが住んでいると思われるイリーという町を目指します。

「ぼく」が旅をする先々で出会った人たちに助けられながら、徐々に断片的な情報を得ながらイリーに近づいていくあたりから一気に物語に惹き込まれていきます。

著者の大竹さんがプロの写真家を目指すために踏み出したこの旅は、当初の目論見通りには進みませんが、寄り道をしながらも導かれるように確実に夢に向かって進んでいきます。

その途中、アメリカとカナダの国境にまたがるノースウッズに広がる無数の湖を7日間に亘ってカヤックで旅することに。カヤックに乗るのも初めてだった彼が、その1日1日で出会ったもの、感じたことが丁寧に描写されていて、あたかも自分も一緒に冒険をしているような気持ちになります。

p.69 考えれば考えるほど、カヌーでムース湖に向かうことにデメリットがあるとは思えませんでした。それになにより、ワクワクしてきて楽しくて仕方がありません。旅をするのは野生の残されたウィルダネスのなか。そこに広がる自然の美しさは、何度も見返してきたジムの写真からも折り紙付きです。もしかしたら途中でオオカミに出会うことだってあるかもしれない。もともとはオオカミの夢を見てここまでやってきたのです。

どうせ誰かが待っているような旅でもない。誰かに頼まれて来たわけでもない。ジムに会える保証もない。この旅のことを知っている友人もほとんどいない。どんな期待からも遠く、ただ自分にとってのみ意味のある旅。寄り道をしたって誰もとがめない。気になる曲がり角があれば行ってみればいいのだ。休日の散歩みたいに。想像するだけで心がワクワクすることに出会えるなんて、それはきっと幸運なことなんだ……。

そこまで考えたところで、今日はもう眠ることにしました。結局は、イリーに着いてからもっと情報収集をしてみるしかなさそうです。未経験のぼくにもカヌーの旅ができることなのかどうか。カヌーをレンタルするのはいくらかかるのか。現実に待ちうける問題については、いまここで頭で考えていても、なにも解決にならないのだから。

読みながら、2019年に屋久島を旅した際に家族で挑戦したカヤックを思い出しました。

安房川をカヤックで遡る
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なぜ写真だったのか

3ヶ月間に亘るアメリカの旅の記録の中、ところどころで大竹さんの生い立ちや学生時代のことが触れられていて、なぜ自然に惹かれていったのか、どうして写真家を目指そうと思ったのか、少しずつ明らかにされていきます。

p.166 ぼくたち人間は工場で作られたのではありません。他の動物たちと同じように、母なる自然の子どもとして、この地球に産み落とされたのです。そのことを再確認させてくれるような体験もたくさんありました。自然を知ることは、矛盾の多い都市生活を見つめなおし、問題点を浮き彫りにして、ぼくらが失ってしまった自然の一部としてのバランス感覚を、もういちど取り戻させてくれる可能性を秘めているような気がしたのです。そんなことを考えはじめるようになると、新聞やテレビから流れてくる毎日のニュースを見ていても、違和感ばかりがつのってくるようになりました。悲しい事件、変わらない政治、不安をあおる経済情勢,情妙.….。不協和音に満ちた人目を引くようなことばかりが取り上げられ、声高に叫ばれます。
こんなふうに書けば、視野が狭く極論に過ぎると言われるかもしれません。でも、美しく穏やかな旋律のように、聞いているだけで澄んだ気持ちになり、明日を生きる活力がわきあがってくるような情報が、あまりにも少ないように、そのときは感じたのです。紙面や放送時間の限られたマスメディアのニューメだけを取り上げて交付を言っても仕方のないことでしょう。そもそもぼくが伝えたいと思うようなことは、「ニュース(NEWS)、つまり「新しいこと」ではないのです。沢の水の美味しさも、野生動物の輝きも、星空の美しさも、いまこの瞬間に伝えなくては価値が消滅してしまうような情報ではありません。いってみれば、「ただ、いつも、そこにあるもの」にすぎないのです。
 しかし、人と自然とのつながりが見えにくくなったこの現代社会のなかでは、なんの変哲もないような自然のことこそ、伝えるべき価値があるものに思えてなりませんでした。どこかに、ぼくと同じように、都市の外に広がる野生の息づく世界を知りたいと思っている人がいるかもしれない。自然に生かされていると感じるときの、あの深い充足感を求めている人がいるかもしれない。

僕も小学生までは千葉や名古屋の田舎に住んでいたので、比較的、自然の中で遊んだ記憶は残っています。ただ、中学からはずっと東京暮らしで、仕事はIT関連ということで、いつの間にか自然とはほど遠い環境で長い時間を過ごしてきました。

若い頃は自然や田舎の風景にはあまり関心がなかった僕も、ここ10年ほどは庭で野菜を育てたり、意識的に自然に触れる体験を求めたりするようになり、自分でも驚くほど。

この本を手にして、しばし都会の喧騒を離れて遠く離れたノースウッズの湖を静かにひとりでカヤックで漕ぎ出す想像をしながら本書を読む時間は至福のひとときでした。周囲の地下鉄の騒音も忘れて、通勤電車の中で読み耽っていたところ、ふと気づいたら降車駅で慌てて降りたことも。

その駅から地上に出ると、目の前に見えるのが戸山高校。僕が3年間通った懐かしい母校であり、実は著者の大竹さんも同じ高校の後輩でした。彼も毎日歩いたであろう通学路を辿りながら、本書の世界観の余韻を味わって歩きました。

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流れゆくままに

彼の冒険は、カヤックの旅のあと、一気に急展開。旅先で出会う気さくなアメリカ人の優しさに助けられながら、彼の素朴でまっすぐな人柄が周りを巻き込んでいき、人生の新しい道が切り拓かれていきます。この先の思いがけない展開は、ぜひ本書を読んで頂きたいと思います。

てっきり僕は旅から帰ってきた著者がその興奮冷めやらぬうちに書き上げたのかと思って読んでいましたが、実際は2011年から「ナショナル・ジオグラフィック日本版」のウェブサイト上に大竹さんが連載したエッセイをベースに加筆訂正したのが本書とのこと。

あの旅から10数年以上経った後、彼が30代後半から40代にかけて書いたものとは思えない、瑞々しい感性と臨場感に驚きました。大竹さんは本書で「第7回梅棹忠夫・山と探検文学賞」を受賞したというのも納得です。

人間はバランスが大切。特に、何か新しいことに一歩を踏み出そうとしている人、ふだん自然と触れ合う機会が少ない人にはぜひお勧めしたい1冊です。

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