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人生で起こること すべて良きこと

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読書メモ
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田坂広志さんの「人生で起こること すべて良きこと」を読みました。
ちょうど先週にアドラー心理学の解説本「嫌われる勇気」を読んだところでしたが、「生き方」という同じようなテーマを扱いながらも全く違ったアプローチで書かれていて非常に興味深いです。

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その人との縁を見つめると人間関係が好転していく

特にアドラー心理学では「嫌われる勇気」を持つことが幸せになる第一歩であると説いているのに対して、本書では「人生で出会う人、すべてに深い縁がある」と捉え「その人との縁を見つめると人間関係が好転していく」と説きます。

そして、嫌いな人、苦手な人であっても逃げずに正対することで自分自身が成長できるといいます。

p.124 「人を好きになる」ということには即効的な技法はないのですが、嫌いな人、苦手な人に対して、自分の感情をコントロールする技法は、あります。
 この技法は、聞かれた瞬間に「そんな技法が、意味があるのか?」と思われる方もいると思いますが、騙されたと思って実践されると、不思議なほど、自分の感情をコントロールすることができます。(中略)

 好きになれない人に対して、心の中で、その人の顔や姿を思い浮かべ、ただ、「有り難うございます」と唱える。それだけの技法です。(中略)

 きわめて簡単な方法ですが、これを行うと、不思議なほど、気持ちの中の何かが収まっていきます。それですぐ、その人のことを好きになれるわけではないのですが、その人に対する心の中の嫌悪感や否定的な感情が緩和されていきます。

このくだりを読んで、はっと気づいたのですが、ちょっと苦手意識を感じる人に会う時には僕はいつも心の中で「今は立場があるから厳しいことを言うけれど、この人も仕事を離れたら普通の人間だ」、「この人にも良い所があるはずだ」と言い聞かせるようにしていることを思い出しました。

確かにこうすることで少し気が楽になります。これからは一歩踏み込んで、「感謝」の気持ちを唱えるように心がけてみようと思います。

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「身」が動けば「心」がついてくる

p.128 仏教用語に、「心身一如」という言葉がありますが、人間の「心」と「身」は、別々のものではなく、本来、一つなのですね。従って、「心」が動けば「身」がついてくるのも真実ですが、逆に「身」が動けば「心」がついてくるのも真実なのですね。(中略)

 古来、「心」の在り方を根本的なテーマにしてきた宗教が、身体を使った「行」の実践、すなわち「修行」を重んじる理由は、その一点にあるのです。なぜなら、「心」というものに直接働きかけることは、極めて難しいからです。(中略)

 こうした「行」を永年続けていると、商談や会議が、どれほど感情の高まるものになっても、不思議なほど、その奥に、静まった自分の心があり、その心が、顧客や会議参加者の心の動きを敏感に感じ取り、場の空気の変化を細やかに読み取れるようになっていくのですね。
 すなわち、たとえ、心の中で「有り難うございます」と祈るという素朴な「行」でも、もし、それを三年、続けることができたら、我々の「心」には、想像を超えた変化が生まれるのです。

これは面白い発想です。心と体は一体であり相互に密接に関係している。心を鍛えるために、まず身を鍛える。

仏教における修行がそういう考えに基づいているのだとすると、こうした心がけを継続することで後から心の成長が付いてくるというのも確かにありうる話かもしれません。

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謙虚になると自信が芽生える

p.136 この行は、「誰も知らないところで、感謝をする」ということが要点ですね。(中略)

それを続けていると、次第に「心」が「有り難い」という感覚を持ち始めます。そして、自然に「心」が強くなっていきます。(中略)

---ところで、その「心身一如」の理は、先ほど述べられた、河合隼雄さんのもう一つの言葉、「人間、自分に本当の自信がないと、謙虚になれない」という言葉についても、当てはまるのでしょうか?
田坂 その通りです。我々は、心の中に「自信」が芽生えれば、自然に「謙虚」になることができるのですが、逆に、様々な物事に「謙虚」な姿勢で処するという行を積むと、自然に、心の中に、静かな「自信」が生まれてくるのですね。

自信と謙虚の関係は僕も思い当たる節があります。8年ほど前に黒川清さんの「イノベーション思考法」を読んだ際にこんな振り返りをこのブログに書きました。

そこ(2年間の米国留学)で得られたものは様々でしたが、あえて一言で表現するならば、それまで自分がいかに狭い世界で生きていたのかを知り、世の中には様々な価値観があることを実感できたこと。日本に帰国する際は、「大抵のことは何とかなる」という根拠のない自信と、「世の中には自分よりも凄い奴は幾らでもいる」という確固たる謙虚な気持ちでいっぱいでした。この自信と謙虚さは、これからもずっと大事にしていきたい価値観です。

日本には昔から「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉がありますが、確かに、自信と謙虚な気持ちは表裏一体であり、その逆もあるのかもしれません。

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大いなる何かに導かれているという感覚

p.148 いま、この地球上に70億人の人々が生きている。しかし、その中で、我々の短い人生の中で、出会い、心が深く触れ合う人は、実は、百人にも満たない、本当にごく僅かな、一握りの人なのですね。そして、その中で、上司や部下になったり、友人や恋人になったり、夫婦や家族になるということは、さらに稀有な出会いであり、「深い縁」なのですね。(中略)

 この「縁」という言葉は、ただ、「人間同士の幸福な出会い」だけを意味している言葉ではないのです。そして、我々は、「幸福な出会い」だけによって人間として成長しているわけではない。「不幸な出会い」と思える出会いを通じても、人間と人生について深く学び、成長しているのですね。

p.150 たとえ百年生きても、宇宙や地球の悠久の時の流れから見るならば、我々は、誰もが、「一瞬」と呼ぶべき短い人生を駆け抜けていくのです。
 そうであるならば、この地上での人間同士の出会いは、その「一瞬」と「一瞬」が巡り合う、「奇跡の一瞬」。
 もし、我々が、そのことを理解するならば、人間の出会いを見つめるまなざしが、大きく変わるでしょう。
 そのことで、相手に対する怒りや嫌悪が直ちにきえるわけではありませんが、心の中で、何かが変わり始めます。
 だから、どうしても好きになれない人との出会い、苦痛を感じる人との出会いが与えられたとき、次の一言を、心の中で、呟いてみることです。

 この人と出会ったことも、何かの深い縁
 この縁にも、必ず、何かの深い意味がある
 自分の成長にとって、必ず、深い意味がある

アドラー心理学のようにロジックを積み上げていく論法とは違いますが、田坂さんの説く出会いや縁の大切さという感覚は僕には自然と心に染み込みます。これは日本人が無意識のうちに身に着けている感覚なのかもしれません。

p.152 昔から、日本では、「天の配剤」や「天の導き」という言葉が語られ、「袖振り合うも、他生の縁」という言葉が語られてきました。こうした言葉に象徴されるように、我々日本人の中には、「人生は、大いなる何かに導かれている」という感覚が、自然に根付いているんですね。
 そして、この「大いなる何かに導かれている」という感覚を心に抱いたとき、我々は、心の軸が定まり、心が強くなり、迷いや不安を超えて、起こった出来事を、深いレベルで「解釈」することができるようになるのですね。(中略)

 自分の耳に痛いことを言う人との出会いにおいても、最初は、「何と不愉快なことを言う、無神経な人だ!」と腹を立て、心が騒ぐ自分がいても、「人生で出会う人、すべてに深い縁がある」と思い定めることができるならば、その心の静まりと深まりの中で、「この人と出会ったのは、誰も教えてくれない自分の未熟さを、この人が、教えてくれようとしているのではないか……」という声が聞こえてきます。それは、心の奥深くの「静かで賢明な自分」が語りかけてくる声です。

田坂さんは「この世の中に「大いなる何か」と呼ぶべきものが存在するのか、神や仏と呼ぶべきものが存在するのか、それは誰も科学的には証明できない」ので「宗教的信条から大いなる何かを信じるのではなく人生の逆境を越えていくための「こころの技法」として」こうした感覚を心に抱くことを勧めています。

僕は特定の宗教を信仰しているわけではないですが、神社や仏閣などに行く機会があると、心の中で「いつも見守って頂き、どうもありがとうございます」という気持ちを誰に向けてということでもなく祈るようにしています。日本人は宗教的信条とは関係なく、例えば正月には初詣に行ってこうした祈りを捧げる人は多いのではないでしょうか。

こうした感覚を強く意識するようになったのは、やはり留学がきっかけだったように思います。早いものでもう10年以上前のことですが、2年間の米国留学から帰国した直後、このブログにこんなことを綴っていました。

「目に見えない大きな流れ」
・・・留学前にはなかった静かな自信というか、まぁ人生何とかなるさという気持ち(もともと楽観主義ではありますが)がすーっと心身に浸透していることに気づきます。もともと海外志向が強かった訳でもない僕が紆余曲折の末に留学することとなり、今はその経験を活かして今までとは全く異なる新たなキャリアの一歩を踏み出していることを思うにつけて、「先のことはわからないなぁ」という思いを新たにしています。

また、今までの自分を振り返ると、色々とあくせく悩んでジタバタしている時は総じていい結果は出ず、一方でどっしりと腹を据え、心を安静なニュートラルに保ちながら自分の本当の心の声に耳を傾けるとき、そしてその瞬間のひらめきや直感を信じて道を選択したときは後で思うと不思議なほどに正しい選択だった、ということが多々あったように思います。

何だかすっかり精神論のようですが、アドラー心理学のような西洋的なロジカルな思想にも共感しながら、僕は本書に書かれているような感覚にも深く共感するのです。最後に、もう1つ、前向きな気持になれる田坂さんの言葉を紹介します。

p.29 我々が、「成功」だけを目指して歩むかぎり、人生の出来事は、成功という「良きこと」と、失敗という「悪しきこと」に分かれてしまいます。そして、その失敗という「悪しきこと」に直面したとき、我々の心は挫けてしまいます。
 しかし、「成功」とともに、「成長」を目指して歩むならば、人生の出来事は、それが、どれほどの「失敗」であっても、どれほどの「逆境」であっても、我々が、人生に「正対」する心の姿勢を失わないかぎり、必ず、それを「成長」に結びつけていくことができるのですね。

対話形式でわかりやすく読みやすい本書、副題「逆境を越えるこころの技法」のとおり、辛い時の心の支えになるような言葉に溢れた1冊です。

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