土偶を読むトランスパーソナル

芸術✕人類学で体験する古代の神話世界——縄文的生命の躍動/精霊たちの世界

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土偶を読む
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2021/12/16に東京大学の伊藤国際学術研究センター・伊藤謝恩ホールにて開催された講演「芸術✕人類学で体験する古代の神話世界——縄文的生命の躍動/精霊たちの世界」に参加しました。

ベストセラー「土偶を読む」の著者・竹倉史人氏による講演が始まる前の30分間は、塚田有一さんによるライブ活花と三宅晋之輔さんによるライブペインティングも披露されました。

本講演は文化庁の支援を受けたイベントで、その支援の決定がギリギリまで未定だったため、あまり告知期間がないままでの開催となったそうですが、多くの方々が会場まで足を運んでいました。

右手の建物が伊藤国際学術研究センター

今回の講演はいったん縄文から離れて、竹倉氏の専門である人類学の観点から「人間にとっての神話の意味」について今まで聴いたことのない斬新な発想に基づいた解説がなされました。

神話とは何か。それは古代を生きた人類が世界をどのように体験していたかを語る認知の痕跡です。そこには神々や精霊が登場し、この宇宙や生命の起源が説明されます。

こうした古代の神話世界を理解するために、このイベントでは「縄文的生命の躍動」をキーワードに、塚田有一によるライブ花活け、三宅晋之輔によるライブペインティング(18時30分〜)、そして竹倉史人による神話の読み解き絵巻(19時〜)が展開されます。

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はじめに

自己紹介と併せて、「人類とは何か? 私は何者なのか?」という研究テーマ、そして「特に神話 (神話的思考)を切り口にして、精神(マインド)の特性を歴史から分析 (intellectual history)する」研究アプローチについて紹介がありました。

今回の講演は、2017年に東京大学駒場キャンパスにて全12回に亘って行われた講義 「人類学の冒険」の内容をダイジェストで紹介するものだそう。この「人類学の冒険」は、「土偶を読む」の冒頭でも触れられている、本書が生まれるきっかけとなった講義です。

 2017年2月、私は春から始まる授業の準備に追われていた。東大の駒場キャンパスで開講される「人類学の冒険」と題した全12回の講義である。(中略)

 神話には文字通り多くの神々や精霊が登場するが、そもそもかれらは一体何者だろうか。たしかに神話は物語の形式になっている。とはいえ小説のような創作物ではない。多くの人が抱くイメージとは裏腹に、神話は架空のファンタジーなどではないのである。

 人類学が教えるところは、神話において語られようとしているのはむしろ”世界の現実”であるということだ。古代神話であれば、それは人類が「自意識」というものを獲得し、われわれを取り巻くこの世界を有意味なものとして解釈し始めた頃の、いわば太古の認知の痕跡なのである。

 したがって神話について考えることは人類について考えることであり、この数万年のあいだに人類の思考や認知がいかなる過程を経ていまのかたちになったのかを知る一級品の資料が神話であるといえる。

土偶を読む p.16

示唆に富んだ講演内容のポイントを以下にメモしておきます。

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人類学から見たホモ・サピエンスの生存戦略

人類学では、ふだん見慣れたものを一歩引いて客観的に観察することで我々の本質に迫るというアプローチが大切。

我々が信頼を置く科学技術は日々進化し、アップデートされている。

例えば、少し前までは「宇宙人=オカルト」だったが、最近の科学に基づく研究では地球だけに知的生命体がいるという考えの方が確率統計的に非科学的と考えられるようになってきた。

もし、地球上での人間の営みを宇宙から眺めている知的生命体がいたとすると、アリの巣をじっと観察している自分と同じような見方で人類を観察することだろう。こうした俯瞰的、客観的に物事を観察することで新しく見えてくるものがある。

地球カレンダー

地球が誕生した時を元旦の0時として今を大晦日の24時とする「地球カレンダー」によると、人類はいつ頃に誕生したのか?

4/1 最古の微生物化石
9/27 植物と動物の分化
12/26 恐竜の絶滅
12/31 20:00 人類の出現
12/31 23:59 文明の誕生
23:59:58 自然科学の発達

長い地球の歴史の中では、人類が出現し、数千年前に文明が誕生したのは大晦日の紅白歌合戦が始まった後。300年ほど前に自然科学が発達したのは、あと2秒で新年を迎える頃。

脳を発達させることがホモ属の生存戦略

人類と同じホモ属に分類されるサヘラントロプスとホモ・エルガステルを比較すると、後者は大きく脳の容量が増加している。

今の人類は、脳の重さは体重の2%ほどしかないが、脳の消費エネルギーは全身の25%ほどにもなる。

脳は古い順に脳幹、大脳辺縁系、大脳新皮質という3つの部位からなり、進化の過程では順次、新しい脳の部位が追加されてきた。人間の認知活動は最後に獲得した大脳新皮質によってなされている。

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人間は脳で世界を食べている

認知とは世界を食べること

人間には、2つの「食べる」がある。

まず、消化管で「食べる」、いわゆる「栄養摂取システム」。肉体には消化器系という消化・吸収のためのシステムが実装されていて、人間はこのシステムを通じて栄養を摂取して生命を維持している。

そして、もう1つが脳で「食べる」、すなわち感覚器から情報を取り込み、認知した世界体験を理解するための「意味摂取システム」である。

無意識で使っている言葉の日常表現にもこのことが現れている。例えば、「話をよく聞いて咀嚼する」、「モヤモヤした気持ちを消化する」、「貪欲に知識を吸収する」など、我々は世界を食べていることを感覚的に知っている。

消化管で食べるのと同様に、人間は脳という臓器においても、 認知した体験の咀嚼→消化→吸収を行っており、このシステムを通じて摂取する栄養が 「意味」である。

「意味」 が欠乏しても人間は生きていけない

健康な肉体維持に強い胃腸が必要であるのと同様、健康な精神維持のためには世界をよく噛み、 深く理解し、意味を吸収する強い脳が必要。

人間の脳は体験から意味を吸収する臓器だとすると、意味とは精神を維持する栄養素であり、うつ、神経症といった病気は、「精神の栄養失調」状態にあるとも言える。

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ドメスティケーションの開始

ドメスティケーションとは、人間が働きかけることで自然界を自分たちにとって使いやすいものに変化させること。

1万年前から人間は人間にとって都合の良い性質を持つ個体を何世代にも亘って交配させた結果、野生動物を家畜化してきた。

例えば、オオカミからイヌ、イノシシからブタが、ヒツジやウシも人間の手によって生み出された、もともとは自然界にはいなかった動物。

同様に、植物も現在は広く食べられているオオムギ、アワ、トウモロコシ、バナナ、ジャガイモ等はすべて野生の植物から人間が生み出した栽培植物である。定住革命の時代に人為的に作られた植物が今の人間の食生活の中心になっている。

これらは、全て炭水化物であり、動物からは得られない必須の栄養素。人間の脳の満腹中枢は血糖値をモニターしていて、本能的にブドウ糖を欲しがるように、つまり人間は植物ありきの設計になっている。

人間と植物は深い関係にある。こうした人類学的な洞察は、「土偶は縄文人の生命を育んでいた主要な食用植物たちをモチーフにしたフィギュアであり植物霊祭祀に使われていた」という「土偶を読む」のユニークな仮説にベースで繋がっている。

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人類の脳にインストールされている意味摂取システムが神話

神話や宗教というと自分には関係がないものだと思っている人がほとんどだが、実はふだん気が付いていないだけで、我々の規範や価値判断の基準を辿ると神話にたどり着く。

神話とは、世界から「意味」を摂取するための初期のシステム。神話を持たない民族は存在しない。 これは、ホモ・サピエンスにとって神話が胃や腸と同じくらい生存に必要であるという事実を示している。

従来は、「神話は事象を擬人化して表現している」と言われてきた。例えば、雨は雨の神、太陽は太陽神、美は美の女神、正義は正義の神といった具合。

一方で、私は実際はその逆、つまり「最初からあらゆる事象は人格を有しており、それが次第に抽象化されていった」のではないかと考えている。

(A) 風が吹いて森の木々の枝が揺れ、 葉擦れの音が聞こえる。
(B) 風の精霊が森を駆け抜けると樹霊たちはざわめき始め、諸手を震わせ我らに秘め事を囁く。

一般的には、概念 (A) を擬人化して神話(B)が作られたと考えられているが、神話 (B)が抽象化されて概念 (A)が作られたと考えたほうが自然であり辻褄が合う。縄文人は、風という抽象概念を持つ前に、風を風の精霊と認知し、風の精霊の物語を神話として作り出していったのだと思う。

つまり、神話は信仰や創作の産物ではなく、初期サピエンスの認知様式そのものだったのではないかと考えている。

換言すると、人間が野生動物から家畜を、野生植物から栽培植物を作り出したのと同様に、野生の自然世界をドメスティケーションしたのが神話と言える。

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人類学における「私だけ見えないんですけど」問題

アマゾンの奥地に暮らす少数民族ピダハンには全員が見えている精霊が、フィールドワークで現地を訪れた人類学者には見えない。人類学の世界では、こうした事例が多数報告されている。

その極めつけは、京都大学の博士課程を修了し、一橋大学社会学研究科で教壇に立つ石井美保さんが著書「精霊たちのフロンティア」の中でカミングアウトした「小人が見えてしまった」話。

異界からの光が照らしだす、日常世界の実践的論理とは。妖術と呪術がせめぎあい、精霊や小人が跳梁する西アフリカ、ガーナのフロンティア社会。人びとの生と身体に浸透する“超常現象”のリアリティを、緻密なフィールドワークから解きほぐす。

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科学技術が広く普及する一方で、それまでは広く信じられていた精霊たちが人間の世界から追放されてしまったように見える。

しかし、実は追放されたのではなく、我々が世界を認知するために使っているマインドセットが変わってしまっただけではないか。

換言すれば、いつも使っているブラウザに精霊が見えるようになるプラグインをインストールすれば現代社会に生きるわれわれ誰でも精霊が見られるようになるということ。

すると、この世の中はまったく違って見えてくる。まだまだ我々が認知できていない世界が広がっている。

塚田有一さんによるライブ活け花
伊藤謝恩ホール隣りにある東京大学の赤門

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常に知的好奇心を刺激される、驚きと深い洞察に満ちた講義でした。

本講義に興味を持った方は、竹倉氏が日蓮宗大本山の池上本門寺に呼ばれて、お坊さん達を相手に「宗教とは何か?」について講演した内容を紹介したイベント「宗教とは何か?未来の人類・未来の学問のために」も併せてご覧頂けると理解が深まります。

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