「土偶を読む」の反響【新聞編】

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2021/4に晶文社から発売されて話題となった「土偶を読む」の反響のうち、主要な新聞記事に関するものを紹介します。

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週刊読書人(2021/5/14号「巻頭特集」)

週刊読書人2021/5/14号の巻頭特集でインタビュー記事が掲載されました。

2ページに亘るロングインタビュー

「日本考古学史上最大の謎の一つがいま、解き明かされる」と言われたら、そうやすやすとは信じられない、というのが普通の反応だろうか。でも、竹倉史人『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社)は、本当にこれまでの定説を覆し、開かずの扉を開いてしまった。謎解きの爽快感を得たい人も、知的好奇心を満たしたい人も、土偶のフォルムが好きな人も、必読の一書。刊行を機に著者の竹倉氏に、たっぷりとお話を伺った。(編集部)

週刊読書人

インタビューの前半は本書で展開される仮説の構築・検証過程について振り返りながら、本では触れられなかったエピソードや知見について語られています。

圧巻は後半。土偶を離れて、今回の研究から感じたことについて話が展開していきます。

ーー興味深かったのは、精霊や呪術を、現代の私たちは抽象的な概念で捉えるけれど、縄文人にとっては「身体性を有する生命」の観念が「精霊」であり、呪術とは技術なのだと。そして本書の結びには「われわれは縄文人たちが呪術的であるのと同じぐらい呪術的存在である。そして依然として、われわれは神話的世界を生きている」と書かれています。これはどういうことなのか伺えますか。

竹倉 たとえば、ビッグバンが宇宙の始まりだというのも神話の一種だと思うんです。宇宙物理学という理論によってもっともらしく見えるけれど、そもそも宇宙に起源があるのかどうかなんて分からないですよね。宇宙を「始まり」という因果論で、人間の認識の域内で説明しようとするわけでしょう。だからサイエンスの因果律で物を見るというロジックは、古代の起源神話の形式と同根ともいえます。

 古代人は、アナロジーによる神話的な世界認識が中心でした。その後ギリシア哲学などを経て、さらに近代になって人類は演繹や帰納というロジックを盛んに使うようになり、世界像や社会のあり方を変えていきます。ただ演繹や帰納という考え方に完全に置き換わったわけではなく、世界認識の核にあるのは変わらずアナロジーだと私は考えています。アナロジーがなければ科学のモデル化すら成り立たない。思想の基盤にはアナロジーがあって、そういうものがわれわれの意味世界を構成している。われわれは物理的な世界を生きていますが、よりリアリティを感じているのは意味世界の方で、それはまさに神話的なマインドで構成されている。時代が変わっても、人の営みはそう変わらない。そうした神話的な精神性を大事にしないと、人類は滅びるのではないかと感じます。

 たとえば原発の廃棄物を、大地に穴を掘って埋めてしまおう、汚染水を薄めて海に流そうと。この考え方は一見すると合理的に思えます。それに対して、われわれの命を養ってくれる大地や海に廃棄物を捨てるなんてバチがあたるのではないか。もしそんなことを言おうものなら、迷信を持ち出すな、科学的に安全性は保証されている、と反論されるでしょう。でももっと大きなスケールで見た時に、われわれの生命や存在を支えている環境世界に対して、平然と廃棄物を投棄するような態度それ自体が、長い目で見ると私たちを破滅に向かわせる振る舞いではないかと思うんです。母なる大地が怒るのではないか、という考え方はまさに神話的な感覚ですが、コマ切れの知性の対極にある大きな知恵だと思います。

週刊読書人

また、土偶の研究を通じて「単に古代の遺物について考えているのではなく、現在のわれわれと数千年前を活きた人々との間に、どんな繋がりがあるのか」を考えたと竹倉氏は続けます。

「誤解を恐れずに言えば、私は土偶や神話に特別な興味があるわけではなく(中略)、土偶を作った人間の営み、神々や精霊たちが活躍する物語を語ってきた人類のメンタリティにこそ興味を持って」いるという竹倉氏は、縄文人の生き方、暮らし方から我々は「環境世界への持続可能な最適化のスタイル」を学ぶことができるのでは、と問いかけます。

本書では土偶のモチーフの謎解きがメインとなっていますが、本インタビューでは本書では語り尽くせなかった研究に対するモチベーションや現代の知性の偏りに対する鋭い眼差しについても深く切り込んでいます。

興味がある方は以下のサイトからPDF版を購入できます。

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毎日新聞(2021/5/15朝刊「今週の本棚」)

2021/5/15の毎日新聞朝刊の「今週の本棚」コーナーに中島岳志さん(東京工業大学教授・政治学)の書評が掲載されました。

今週の本棚コーナー

 筆者は「縄文脳」をインストールするため、各地の山や海を駆けめぐる。そして、イコノロジー(図像解釈学)研究と考古学をかけ合わせることで、具体的な土偶のなぞ解きを展開する。このプロセスは、大胆かつスリリングで、評者は興奮しながら一気に読んだ。

 もちろん大胆さの中には、飛躍も含まれているだろう。今後、見直しが迫られる部分も出てくるはずだ。考古学者の中には、アプローチの違い故に、俗説として退ける人も出てくるだろう。しかし、古代は考古学者の占有物ではない。あらゆる研究は、時間や分野をまたいだ共同研究である。人類学者からの大胆なアプローチは、縄文研究ひいては人類史に対する勇敢なチャレンジである。本書が発火点となって、熱い議論が展開されることを期待したい。

毎日新聞

後半で述べられているクロスジャンル研究の重要性、そして今後の考古学研究への期待は全く同感です。本書の醍醐味は、単なる土偶のモチーフ解読にとどまらない、より俯瞰的な視点から学問のあり方に対して一石を投じた点だと思います。

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日本経済新聞(2021/6/5朝刊「ベストセラーの裏側」)

日経新聞の「ベストセラーの裏側」に本書が取り上げられました。

「4月25日の発行で、現在では3刷の1万5000部にまで部数を伸ばしている」そうですが、出版に当たっては大手出版社が「考古学者の推薦」を得るよう著者に求めた中で、企画書の内容を見ただけで出版を決めたという晶文社の江坂さんの眼力と「書店向けに本書の概要をまとめた小冊子(非売品)」を作成して発売前に書店に働きかけたというエピソードが紹介されています。

編集を担当した晶文社の江坂祐輔氏は、「考古学者でない人が土偶に対して新しい角度でアプローチしたことが話題につながったのではないか」とみる。著者は大手出版社に何度かこの企画を持ち込んだが、考古学者の推薦が取れないことを理由にいずれも断られた。それを晶文社が引き受けた。

同社は思想書や文芸書を主に扱ってきた出版社だ。「出版社が新しい分野に挑んだ本は書店に置いてもらえないことが多い」(江坂氏)。そこで本書の内容を80ページにまとめた冊子を作り、書店に配布。内容の話題性に版元の熱意が重なり、初版の7000部はすべて注文が入った。

また、考古学者からのコメントも添えられています。本書をトリガーにして、専門家である考古学会からも今回の仮説に対する見解や反証等が活発に出され、土偶の研究が活性化することが健全な学問のあり方であり、そうした展開を期待しています。

先史時代の骨角器を研究する考古学者で横浜ユーラシア文化館学芸員の高橋健氏は「従来も土偶を女性、すなわち大地の女神に見立てて豊穣を祈念したとする『地母神説』など、植物と土偶を結びつけた議論はあった。本書の新しさは植物と土偶の形を直接結びつけている点にある」と説明する。だが話題の広がりをよそに、考古学の世界は静観しているというのが現状だ。

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東京新聞(2021/6/5朝刊「いとうせいこう氏による書評」)

東京新聞の読書欄には、いとうせいこうさんの書評が掲載されました。

切実な収穫物の似姿に、縄文人は手足を付けて人間化したと著者は言う。ここが最重要ポイントだ。なぜなら、現在我々がこの列島で日々目撃している「ゆるキャラ」こそ、縄文人が何かに祈ったり遊んだりした時のメディア(媒体)そのものだということになるからだ。つまり何千年を経ても、我々の感覚は変わっていなかったのだ。

東京新聞 いとうせいこう氏の書評

本書には、著者が見立てた植物・貝モチーフの土偶と、それにまつわる現代のゆるキャラを比較した図版が多数掲載されています。これらを眺めていると、縄文人と現代人の擬人化に関する感性はほとんど変化していないことに驚くと同時に、あまりの類似性に笑ってしまうほど。

論争は当然起きるだろう。むしろ無視されずにそうなってほしいと思う。なぜなら岡本太郎の時も日本人の縄文への興味が深まったからだし、論争から実り多い結果が必ず収穫されるだろうからだ。

東京新聞 いとうせいこう氏の書評

全く同感です。ユネスコによる北海道・北東北の縄文遺跡群の世界文化遺産への登録勧告がなされた今こそ、本書を契機に土偶の正体に関する議論や研究が活性化されて、新たな知見とともに土偶という誇れる文化遺産を広く世界へ発信してくチャンスだと思っています。

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公明新聞(2021/7/19書評)

筑波大学から国立歴史民俗博物館などを経て、今は東京大学大学院教授をされている民俗学者の菅豊さんによる書評が公明新聞に掲載されました。

学者の力が及ばぬ知の治外法権のマーケットでは、消費者のニーズに合った商品化された知が大量に流通している。そこが今後、知の民主化をさらに推し進める場になるのか、はたまた知の失墜をもたらす場になるのか、私たちは注視しなければならないだろう。

公明新聞

ここは重要な問題提起だと感じました。

菅さんは「学者による知識の品質保証」、「学者の力が及ばぬ治外法権」と表現しているとおり、知は学者によって管理・担保されるべきものであるという主張です。

しかし、本稿のロジックだと組織に属さない「独立研究者」は学者ではなく、直感を起点に組み立てた新説は「アカデミックな世界では認められがたい」「珍説」でしかない、となってしまいます。

一方で、「学界の作法や流儀」に沿って研究していたのでは決して辿り着けない、従来の発想とは全く異なる直感や閃きを重視する仮説形成法(アブダクション)によってより説明力の高い新たな仮説が登場し、科学が進化してきたのも事実。

演繹法・帰納法と並ぶ論理的な思考手順であるアブダクションはイノベーションを生み出す発想法としてビジネスの世界でもいま注目されてきており、本書でも論理展開のベースとなっています(詳しくは以下の記事参照)。

  • 「間違っているのは、理論が経験から帰納的に出てくると信じている理論家たちである」「経験をいくら集めても理論は生まれない」(アインシュタイン)
  • 「科学的仮説や理論は、観察された事実から導かれるのではなく、観察された事実を説明するために発明されるものである」(カール・ヘンペル)
  • 「アブダクティブな示唆は閃光のようにわれわれに現れる。それは洞察の働きである」(パース)

学者の皆さんには本質的で斬新な理論を構築するための思考法であるアブダクションに対する理解を深めて頂いた上で、より一層の研究の前進に寄与して欲しいところです。

「知的生産を独占する学者たち」という状況に陥らず、「知の民主化を推し進める」ためには、学際的な研究によって新しい仮説が生まれてくる状況を健全とみなし、専門家が検証することで「知識の品質保証」を行うという正のサイクルを回していくことが肝要だと思います。

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読売新聞(2021/7/24 著者インタビュー)

読売新聞に著者インタビューが掲載されました。

自身は大学に属さない「独立研究者」を掲げる。「縄文遺跡が世界遺産になり、土偶も世界的に注目される。日本が誇る文化財の土偶には一般の人も含め、様々な解釈があっていい」。今後は世界にも視野を広げ、次節の核となる先史時代フィギュアと植物霊祭祀の関連性を探求する。

読売新聞

著者によると、今回の土偶に関する仮説は世界の先史時代のフィギュアを読み解くのにも有効であるそう。

 古いものでは後期旧石器時代にあたるおよそ3万5000年前~1万2000年前にかけて、ヨーロッパ、ロシア平原、シベリア、日本などから発見されている一連の「先史時代フィギュア」(prehistoric figure)がこれにあたる。(中略)

 こうした古代フィギュア全般の特徴としては、縄文土偶と同様、ヒトガタであるにもかかわらず人間離れした容貌をしているものが多い点を指摘することができる。

 じつは私の目から見ると、これらの先史時代フィギュアのなかにも縄文土偶と同様の造形文法によって製作された、明らかに植物の精霊をかたどったと思われるフィギュアが存在している。とはいえ、海外の研究者たちは総じてこれらを「人間像」や「女神」として分類してしまっている。土偶同様、おそらく具体的な植物モチーフがあるにもかかわらず。

 私の見立てが正しければ、すでに3万年~4万年前にはホモ・サピエンスはフィギュアを造って植物霊祭祀を行っていたということになる。もちろんこれは世界中の誰も唱えたことのないまったく新しい説である。縄文土偶をきっかけに人類史が書き換わる可能性すらある。海外の先史時代フィギュアの分析の成果についても、遠くないうちに発表できればと考えている。

「土偶を読む」p.329

次の研究成果の発表が楽しみです。

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