2024夏休みは、今までにまだ行ったことがなかった残り2県、山口と佐賀をコンプリートする旅。修士2年の息子は一人暮らし、高3娘は山中湖でテニス部の合宿ということで、彼女と二人でマイペースに回ってきました。
山口宇部空港で借りた車で秋吉台から萩へ。萩で1泊したあと、日本海側をのんびりドライブしながら下関から博多入りしてもう1泊。3日目は初の佐賀、呼子の朝市、名護屋城跡、伊万里焼の秘窯の里を回って福岡空港まで、彼女と相談しながら気になった場所を巡る526kmの旅となりました。
山口での宿はこちら。萩城下町を散策するには絶好の宿でお勧めします。
秋芳洞~秋吉台のカルスト台地
山口宇部空港から北上して約45分ほどで秋芳洞に到着。
山口県美祢市に位置する秋芳洞は、日本最大級の鍾乳洞で、自然の神秘を感じられる場所です。秋芳洞は、秋吉台の地下に広がる長さ約10kmにおよぶ洞窟で、一般公開されている部分だけでも約1kmの距離を歩いて探検することができます。
洞穴に近づくにつれて涼しい風が吹いてきます。入口のチケット売り場は既に5度以上は涼しい感じ。意外だったのは鍾乳洞の中から続く清流が流れていること。湧き水なのでしょうか、夏だというのに澄んだ清流が脈々と流れていて洞穴までの小道が何とも心地良い空間でした。
洞内に一歩足を踏み入れると、ひんやりとした空気と共に幻想的な風景が広がります。高さや形が異なる鍾乳石があちこちに見られ、その一つ一つが長い年月をかけて自然に形成されたものだと思うと、息をのむような美しさ。
秋芳洞の見どころの一つは、「黄金柱(こがねばしら)」と呼ばれる巨大な石柱です。この石柱は、高さが15m、周囲が6mもあり、まさに洞窟のシンボルとも言える存在です。
また、「百枚皿」と呼ばれる、階段状に重なり合った石灰棚も見逃せません。
洞内には照明が施され、神秘的な光景が演出されて鍾乳洞の美しさがより一層引き立てられています。
オプションで300円支払うと冒険コースを体験できます。懐中電灯を借りてハシゴを登って秋芳洞の上部をぐるりと回ることができるコース。
通常ルートからは見られない景色が楽しめました。これは挑戦するべき!
秋芳洞は一年を通じて約17度に保たれているため、暑い夏の日でも快適に訪れることができます。まさに天然のクーラーで、あまりに快適なので一度入ってしまうと外に出たくなくなります。
洞窟探検が終わった後は、周辺の観光スポットである秋吉台の広大なカルスト台地をドライブしながら萩へ。
明倫学舎
秋芳洞から約45分ほどで日本海に面する萩まで移動。山口県の日本海沿岸に位置する萩市は、江戸時代に栄えた歴史ある城下町として知られています。
宿で自転車を借りて最初に訪れたのが明倫学舎。
萩藩校明倫館は、享保4年(1719年)に5代藩主毛利吉元が毛利家家巨の子弟教育のために堀内に開いた藩校です。それから約130年後、嘉永2年(1849年)に現在地(江向)に拡大移転しました。約5万㎡もの敷地内に学舎や武芸修練場、練兵場などがあり、吉田松陰や楫取素彦(小田村伊之助)も教鞭をとりました。
創建来、萩藩の人材育成の中枢を担い、多くの先覚が志を立てた藩校明倫館。その跡地に建ち、近年まで授業が行われていた旧明倫小学校。鴟尾(しび)を頂く本館棟(国登録有形文化財)をはじめとする4棟の木造校舎からは多くの人材が巣立っていきました。
公式サイト
平成30年は明治維新から150年の節目の年となります。私たちは、この伝統ある学び舎を「萩・明倫学舎」と命名し、次代を担う子どもたち、そして萩を訪れる人々に「萩物語」を伝えます。
明倫学舎では萩の様々な魅力を詳細な展示で分かりやすく理解できます。また、各部屋にいらっしゃる方々が詳しく解説してくださるので萩の観光の起点として訪ねるとベストです。
萩の城下町
世界遺産にも登録されている萩の城下町の魅力は、なんといってもその美しい街並み。碁盤の目のように整備された町には、武家屋敷や商家が立ち並び、白壁や黒板塀が続く道を散策することができます。特に、菊屋家住宅や久保田家住宅といった歴史的建造物は、当時の暮らしぶりを感じさせてくれる貴重な存在です。
僕らは2日目の朝6時から宿で借りた自転車で静かな城下町をぐるりと散策。萩藩の城下町として築かれたこの町は今もなお当時の風情を色濃く残しており、タイムスリップしたような気分になれる素敵な時間でした。
鍵曲(かいまがり)
城下に侵入した敵を迷わせ、追い詰めるため高い土塀で囲んだクランク状の道。別名『追廻し筋』。
また、萩は幕末の志士たちゆかりの地でもあります。吉田松陰が開いた松下村塾や、木戸孝允、高杉晋作といった偉人たちの足跡を辿ることができるスポットも多く、歴史好きにはたまらないエリアです。
さらに、萩の城下町には江戸時代の趣を今に伝える「萩焼」の工房が点在しています。萩焼は、その独特な質感と色合いが特徴。いくつか工房を覗いて夫婦茶碗を購入しました。
萩の城下町は、江戸時代から続く伝統と文化が今もなお大切に守られている場所でした。紹介したポイントは自転車で1時間ほどで回れます。人や車のいない早朝に、歴史に思いを馳せながら、ゆっくりと時間をかけて散策するのがお勧めです。
散策後に宿の温泉で汗を流してから遅めの朝食を頂いてチェックアウト。
松下村塾
萩城下町から少し離れたところに位置する松下村塾には2日目の朝に車で立ち寄りました。吉田松陰が実際にここで門下生に教えたのは僅か1年少々しかなかったそうですが、そこから数々の偉人を生み出したというのには驚きました。
木造瓦葺き平屋建ての50㎡ほどの小舎で、当初からあった8畳の一室と、後に吉田松陰が増築した4畳半一室、3畳二室、土間一坪、中二階付きの部分から成っています。講義室だった8畳の部屋には松陰の石膏像と肖像画、机が置いてあります。
松陰は身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ、わずか1年余りの間でしたが、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎など、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てました。
向かいにある松陰神社宝物殿至誠館では吉田松陰の直筆の手紙や文書等が多数展示されています。9時過ぎに到着した時は貸し切り状態で、ゆっくりと彼の生涯に向き合って思いを馳せる時間でした。
萩城下町を巡る旅なら、北門屋敷に宿泊するのがお勧めです。
萩反射炉
明治日本の産業革命遺産として世界遺産にも登録されている萩反射炉にも立ち寄ってみました。松下村塾から車ですぐそこです。
萩駅舎
萩駅舎の中には萩市自然と歴史の展示館がありました。
白く美しい外観が目を引くレトロなJR萩駅舎の中にある展示室。
萩市観光協会
半円形のドーマー窓を有する白壁に柱や梁が露出するハーフティンバー構造の萩駅舎は、大正14年(1925)に建てられ、平成10年に当時の姿に復元・補強したものです。平成8年(1996)に、国登録有形文化財となっています。