庭の薔薇の木は冬の間は全ての葉が落ちて、枝はバッサリ剪定されて、枯れ木のようでした。
それがここ1~2週間で、気がつくとここかしこから新芽が生えてきました。



現代に生きる僕でも毎年、春になってこの植物の生命力を見る度に感動しますが、暦や科学がなかった縄文時代に生きた人たちからすると、冬の後にまた春がやってくる保証はない日々を生きていた訳であり、春に植物が芽吹く姿は奇跡に見えたことでしょう。
研究しつつ竹倉さんが心がけたのが、森を歩き、縄文人の気持ちに近づくことだ。冬に死んだようだったクルミの木が春に芽吹き、秋に豊かな果実をつける。この死と再生の物語が「”奇跡”以外の何であろうか……何らかの”善意ある存在”の介在を感じないことの方が難しいだろう」
恵みをもたらす植物の精霊の姿を想像し、形にしたのが土偶である。心躍る新説が、定説となる日は来るだろうか。縄文人たちの春を思いつつ、エンドウの実がつくのを待っている。
2022/3/13 朝日新聞「天声人語」